真白き富士の嶺 (インガルス作曲)
Mashiroki Fuji no Ne (Ingalls)
(マンドリン・アンサンブル、2'16"、MP3 : 2.1MB)
(写真は 静岡県三島付近から見た富士山)
1. 真白き富士の嶺、緑の江の島、 仰ぎ見るも 今は涙、 かえらぬ12の 雄々 (おお) しき 御霊 (みたま) に、 ささげまつる 胸と心。
2. ボートは沈みぬ 千尋 (ちひろ) の海原 (うなばら) 、 風も浪も 小さき腕 (かいな) に、 力も尽き果て 呼ぶ名は父母 (ちちはは)、 うらみは深し 七里ヶ浜。1910 (明治43) 年1月23日に起きた、神奈川県: 逗子開成中学校の七里ヶ浜ボート遭難事件の鎮魂歌として、当時、同系列校であった鎌倉女学校の教師であった三角錫子 (みすみ・すずこ (1872-1921)) が アメリカ人:ジェレマイア・インガルス (1764-1828) が作曲または監修したのこの曲に歌詞をつけたもので、原題は 「七里ヶ浜の哀歌」。8分の6拍子。 哀しい歌ですが ニ長調。 ウィキペディア上での推測も含めた記述によると、この曲の起源は白人霊歌で、19世紀末には "天国での来世に希望を託す" 讃美歌として歌われ、その作曲は、以前言われていた ガードン (Garden) ではないそうです。 そして日本では 1890 (明治23) 年刊行の 「明治唱歌」 において 「夢の外」 (大和田建樹作詞) として採用され、それを三角錫子が この替え歌にし、歌謡曲として広まったことから再び賛美歌に使用されるに至ったそうです。余談ですが、私が子供の頃、この事故を題材にした映画を観た時、上映が終わると映画館内のほとんどの人が泣いていて、中には声をあげて泣いている人もいたりして、涙が出るほどではなかった私には奇異ともいえる感じを受けたのを思い出しますが、その "涙腺の刺激" には この歌がかなり貢献 (?) していたようです。