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 2002年 7月 〜 12月 の 今月のひと言 .

  W杯サッカー  2002年 7月 3日

 日韓共催の 2002年W杯サッカーも、ブラジル優勝の結末をもって幕を閉じました。 昨年から、W杯まであと 200日、100日などと言っていたのが、終わってみれば夢の跡。 将にどの試合も壮絶な死闘と ドラマが展開され、あっと言う間の1ヶ月でした。

 あの ジダンおじさんが早々ににうな垂れて帰ってしまった後、仁王立ちの チラベルト兄いも、カックいい ベッカムさま、デルピー君、トッティー君、それに我が家の家長とも言うべき トルシエ・パパまでも、そして遂に シュワルツェネッ (?)・カーン兄さんから 大五郎・ロナウド君まで帰ってしまって、ひとしきり賑やかだった我が家が 前よりも寂しくなってしまいました、という感じです。 ヴァイオリンとギター

 元々 サッカーには無縁な 当HPとはいえ、何かこの歴史的な大イベントを記念するような曲はないかと思ったら、....ありました、ありました、...とてつもない怪獣がやって来て、熱狂のうちに暴れ回り、その頂点に達して終わる、そんな曲が....。 (ここまで7月1日 記)

 ということで 7月1日に レクォーナの 「マラゲーニャ」 を Upしたところまでは良かったのですが、今日になって、この曲の 著作権チェック (法的に問題ないかのチェック) をしていなかったことを思い出し チェックしたところ、レクォーナは 1963年没だったんです。 以前 Upした 同じ レクォーナの 「そよ風と私」 の Upの時に チェックしてあったと思っていたのですが、....。

 ということで、Up早々ですが、「マラゲーニャ」 と 「そよ風と私」 を取り下げさせていただきました。....お粗末様でした (-_-;;)。 ....私にとっても とんだ "W杯後遺症" でした。

 (...なお未練がましくて恐縮ですが (^_^;) 、この 「マラゲーニャ」 の 冒頭部分と途中の部分だけを繋げて ここに載せさせていただきました。 お聴きになるには、この パネルを クリックしてください。)


 (下段は 「そよ風と私」 の 冒頭部分です。)


  USB扇風機  2002年 8月 1日

  有楽町ビック やその後オープンの 新宿ビックなどが、そして私の家の近くにも またまた大きなパソコン店ができたりして、やはり私には 秋葉原 は以前より遠くなってしまったようではあります。

 でも久しぶりに秋葉原へ出てみても "アキバ人口" が減ったということは あまりなさそうな気配で、結局 「パソコンの普及などで増えるであろう筈の 一般サラリーマン・OLなどが有楽町や新宿などで くい留められてしまっただけ」 という気もします。 歩いている人種もいわゆる パソコン・オタクや ゲーム・マニアが相変わらず多く見うけられ、他の人種の増加で薄められたということでもなさそうです。

 ....そうした中を歩いていて、ある ジャンク屋で "USB扇風機" なるものをめっけました。 880円とかの チャチなものでしたが、パソコンから USBケーブルで繋いであって、電力供給機能があるUSB製品としては 考えてみれば至極当たり前の物ではありますけど、手の平大の羽が ちゃんと回っていました。

  ....でも こういう シーズ発想の商品を見ると、私など 「やっぱりアキバはこれだなぁ、こういう発想に カンゲキというか共感するするような人種の町なんだなぁ」 と妙に感心した次第で、「私を含め (?!) そう思うような人種を引きつけているかぎり、アキバも健在かな (?)」 と思いました。 ....ところで、「あなた、それ、買ったの ?」 って? ....もちろん (!?) 買いませんよ。

  ADSL  2002年 9月 1日

  この度 私の インターネットの接続を これまでの CATV から ADSLに換え、今日、HP (ホームページ) もこちらに引越しました。 思い返せば CATVに繋いでいたのは わずかに 2年半。

 ADSLは "CATVに比べても速い、料金が安い" が売りになっていますが、実は私はこれまで、ADSLには関心はあったものの、CATVも そこそこの速さが出ていることもあり、また HPや メール・アドレスの引越しやその連絡等を考え、乗り換えることまでは あまり意識してこなかったのです。 マンドリンとギター

 ....今回私が ADSLに換えた理由は、私の入会していた地元の CATVでは HP容量を 10M以上は確保できないということからだったのです。 ....間もなく 10Mを超えそうな私の HPの容量増設を会社に掛け合ったのですが、私の方でその初期費用を払ったとしても、会社としては 「設備増強等の問題もあり....」 により (?) 対応できないとのことで、それが決め手で やむなく プロバイダーを乗り換えたという次第なのです。

 ADSLは、繋がるまでに苦労はあったものの、やはり速さ、料金、それに 25Mまで無料の HP容量とも 今のところ まずまずと思っています。 その点、30M位の コンパクト・フラッシュでも 2,000円も出せば買える今のご時世なのにと 素人なりに思うと、余計なお世話でしょうが 地元CATVの競争力には将来が案じられたとともに、私にとっても地元企業には もう少しは小回りを利かせてほしかったと思いました (-_-)。

  何卒ご了承  2002年 9月 29日

 前回に続き プロバイダーの対応についての ネガティブな話になって恐縮ですが、....。 今回 CATVから ADSLに乗り換えるに際して、客観的に見てつまらないことで、繋がるまでに 1ヶ月もかかってしまったという話です。

 そもそもは ADSLの申し込みの時、私の気に入った ID名が取れなかったために、昔 パソコン通信で割り当てられた ほとんど数字ばかりの適当な IDで申し込んだのが間違いの元でした。 その時は その ID名とは別に自分で ニックネームをつけて それをメール・アドレスとすることができるので、HPの URLも ニックネームとすることができるだろうと思っていました。 ところが URLの方は自動的に ID名そのものとなってしまい、それ以外には変えられないものだったのです。

 我が HPの URLを意味不明な記号と数字を並べたものにしたくはないので、せめて今の ニックネームを URLにできないかと あらためて ID登録を試したら、「既に他のユーザーが利用しています 」 とのこと。 ...なんのことはない、それを使っているのは他ならぬ私自身であり、自分を含めて誰かが ニックネームで使っている以上、それを ID登録することができないのです。

 私としてはどうしても IDの変更をしたくて、考えられる様々な方法を何回も プロバイダーに掛け合ったのですが、その都度、返事は 「何卒ご了承のほどを」 の言葉がついた 「ノー」 でしかなく、その間に モデムも届いている中で、結局は一旦解約してまた契約し直すしかないということでした。

 結局 新品の モデムを送り返し、また別の新品の モデムが届いて、電話局の工事も 計2回待って、やっと繋がったという次第です。 前回の CATVの話 の時も 「何卒ご了承」 ばかりで うんざりしていた後に、今度は ADSLで 「何卒ご了承」 攻めで、ほとほと疲れました。

 どちらも システムとして設計されていない個別対応の要求には、担当者では手の下しようがないということなのでしょう。 ....たまたま 日経パソコンの 9月16日号にも 勝谷誠彦氏が同じような経験談を書いておられましたが、これからはこうしたことに対応できるか否かが イコール競争力ということになってくるのではないでしょうか。

  ウィーンらしさ  2002年 11月 1日

 この 9月の末日から 10月の初旬にかけて、かねて憧れの ウィーン、ザルツブルグなど、オーストリアを旅行してきました。

 この旅行は、教会や宮殿などばかりでなく "登山汽車" (シャーフベルク登山鉄道) で山へ登って雪の アルプスを眺めたり、船で紅葉しかかってる ドナウ川を下ったり、ウィーンの森への半日バスツアーもして、天気が良かったせいもあって、お陰さまで旅を満喫したという感じでした。

 ...また "音楽の都" ということで コンサ−トも聴きましたけど、昼からビールを飲み、街を歩き回って、夕方も ビールを飲みながら腹いっぱい食べての後では、さすがの (?) 私も 実は眠気の ガマン会 でした (-_-;)。

 その "音楽の都" という点では、乗った飛行機が オーストリア航空のせいか、楽器を抱えた音楽留学生らしい学生が何人も乗っていて、そこで早くも "ウィーン行きらしさ" を感じ、帰りの飛行機でも通路をはさんだ隣の女性も楽譜に何やら書き込みをしながら勉強のご様子で、さすがと思わせるに充分でした。

 繁華街での パフォーマンスなども学生らしい人達の ヴァイオリンや チェロなどで演奏する人や アリアを歌う人など、やはり他所とは違うなと思わせるものがありましたが、さらには、....たまたま繁華街の裏道で新聞を読みながら歩いてきて すれ違った人は、なんと大町陽一郎氏ではないですか。 東京を歩いていても クラシックの音楽家を見かけるなどということは滅多にないのに...。

 ヨハン・シュトラウスの曲に 今年の ニューイヤー・コンサート でも演奏された "ウィーン気質" という名曲がありますが、本当はそうしたものを感じてこそ 「ウィーンらしさ」 なのでしょうが、....ミーハー的で次元のあまり高くない話でした (-_-;)。

  ワ ル タ ー  2002年 12月 1日

 今クラシック音楽を聴く若い人達はどれくらい ブルーノ・ワルター (1876〜1962) (参照: ウィキペディア) を知っているのかしらと思うことがあります。 ヴァイオリン ...アメリカの コロムビア交響楽団との演奏が多いなどのために 商業主義の匂いがするなどと遠ざけられているんではないか、とか、まさか忘れられているのかしらとか、とも思ってしまいます。

 彼の指揮する演奏には、スケールの大きさがある中で あれほど人間的な暖かみのある演奏をする指揮者はいないのではないかと思わせるものがあり、それは フルトヴェングラートスカニーニ も及ばない "曲の上に立ってない" あるいは "曲を支配していない" 姿勢があるように思います。

 師であり親友であった マーラーの交響曲はもちろん、モーツァルトの後期の交響曲、ベートーヴェンの偶数番の交響曲など、今もって最高の演奏だと思いますし、意外かも知れませんが、ヨハン・シュトラウスの ワルツなども柔らかさ・気高さなど追随を許さないところがあると思います。

 「彼は自分を ドイツから追い出した ナチスにさえ そこそこの恨みしか抱いていなかった」 と何かの本にありましたが、なるほど ああいう音は そういう人から醸し出される音なのかと妙に感じ入ったことを思い出します。



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