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 2004年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .

  音 源 対 策 1  2004年 1月 1日

 バブル崩壊後の長い トンネルが続き 相変わらず先行き不安は抱えているとはいうものの、多少は景気も上向き加減かなと思われる中で迎えた新春と言えるのではないでしょうか。

マンドリン、ギター  こうした中で、当HPでは今年、最大の転機を迎えていると言っても過言ではない状態にあります。 ...と言いますのは、これまで当HPで一貫して音づくりをし、聴いていただくうえでも推奨してきた ヤマハの XGソフト音源 が昨年9月30日、配布終了 (体験版から正規版への切り替えのキー・ソフトを販売終了) したからです。

 思えば既に ソフト音源の世界も どうやら Windowsに標準添付されるようになった マイクロソフトのものの天下になって、当HPの演奏を ヤマハの音源で聴いていただいている方も少数派になってしまっていたのかもしれません。 私自身は マイクロソフトの音源には違和感があり、ヤマハの音源が ソフト音源としては "最も ベター" と思っていますが、私の意図した音でより多くの方々に聴いていただくために 何らかの "方針変更" が必要だと思っております。

 ...ところが今のところ、肝心のどのように対処したら良いのかの方策が定まっておりません。 ということで、本日 Upしました 「ギリシャ風主題による序曲」 では、今までの通常の MIDI演奏の他に、取りあえず ヤマハの音源で演奏し MP3形式で録音した別ページをこの 1月23日までの掲載期間限定で用意しました。

 ...ということで、当HPにとっては不本意ながら (-_-)、MP3の初登場です。

  音 源 対 策 2  2004年 2月 1日

 どの パソコンで聴いていただいても提供者 (私)の意図する音で聴いていただきたいということで、先月 から試験的に 一部の曲について ヤマハの XG音源による演奏のMP3録音の頁を作りました。

 MP3 はとにかく ファイル・サイズが大きく、現状では プロバイダーの規定容量の 25MB以内で載せようとすると、せいぜい数曲しか載せられないことになり、当HP上の全ての曲を MP3で載せるなどということは到底無理な相談ということになります。

 そこで当HPの今後の方向としては、...、今 Upしている全ての曲や今後 Upする曲をやはり従来通り MIDIデータで提供する、ただしそれは世の中の大勢が使用している音源で十分聴くに耐える音に作り直して再Upする、...の線で現在検討しているところです。

 ...それは、今のところ "世の中の大勢が使用している音源" は 多分 Windowsに標準添付の マイクロソフトの "Microsoft GS Wavetable SW Synth" でしょうから、当HPを訪ねていただく方々が それで聴いていただいて満足がいくように、今まで ヤマハの XGソフト音源 で作った全ての曲を その マイクロソフトの音源向きに調整し直すということです。

 ...でもそれで本当に聴くに耐えられるものにし得るか、これまで ヤマハの音源で聴いてこられた方が満足するか。 ...私自身の試作では今のところまだまだ満足レベルとは大きな差があります。 ...暫く待てばそれなりに良い音源が大勢を占めるようになるとも考えにくい一方で、調整作業も大変な負担になりそうですし、悩みは大きく、今ひとつ踏ん切れない昨今です。

  VAIO−Z  2004年 3月 1日

 昨年末に VAIO-Zを買いました。 またまたの VAIOで、私の VAIO一辺倒 もすっかり定着してしまったようです。

バイオZ  最近 メインで使ってきた VAIO−FX (ノート型)は、Windows-Meのもので動作不安定、HDが不足気味、DVDが遅い、無線LANがカード差込みで不便、メモリースティックも アダプターが必要、など、買い替えの理由は (こじつけも含めて (^^ゞ ) 様々ですが、楽譜を見ながら MIDIの入力・調整などをするのに もっと広い画面が欲しいというのが最大の眼目でした。

 もちろん デスクトップ型との比較や SONY以外の メーカーのものとの比較もし購入した VAIO-Zですが、結果は、....これまでの 1024×768ドット画面から 1400×1050ドット画面になってみて、MIDIソフトの SSW の楽譜が 5段位までしか表示できなかったものが、8段まで一覧できる快適さ、というか便利さは予想以上に大きいものがあり、これまでのもののその他不満解消も果たせて、まずまずといったところでした。

 しかし ディスプレイの大きさそのものは今までのものと同じ 14インチであり、当然ながら文字などはその分小さくなる分けで、文字の表示を大きなものに変えればいいのですが、せっかくの大画面なのでそれはしたくないとなると、当然の結果として "目につらく"なってしまいました。...自分では気づかない メールの誤字なども増えたのではないかと思ってます。

 考えてみれば こうしたことは 既に VAIO-U で経験済みではあった筈なのですが、ついつい画面を広くと欲張って、歳をとっていくに従って画面の文字が小さい パソコンを使っていく "現象" というか "症状" を、(早くも (?)) "年寄りの冷や水" とでも言うんでしょうか。

  「亡 き 王 女」  2004年 4月 1日

 ラヴェル作曲の 「亡き王女のためのパヴァーヌ」 の MIDIについては、以前よりかねがね 作りたいと思っていたものの入力作業の困難さから敬遠していたのですが、やっと昨年手がつき、1ヶ月位かけて、どうにか完成させました。 この曲では音符の入力よりもその後の テンポや各パートの ヴォリューム設定などで苦労しました (でもそれらは いわば "曲の演出効果" を高めていく作業で、音符の入力の作業に比べると楽しい作業でもあります)。 スイス・モントルー : シオン城

 そうした最中に曲の解説をあさっていると、"作曲者の ラヴェル自身はあまり出来の良い作品とは思っていなかった一方で、この曲の人気は当初から上々だった" ということが書かれていました。 日本の明治30年頃にあたる 19世紀末、当時の人々は、24才の音楽学校の学生のこうした斬新な曲に対してさぞ将来に期待感のもてる、頼もしい思いをしたのでは、と私自身この曲の演奏を設定・調整しながら思ったものです。

 ところが意外にも、ラヴェルの伝記を読むと、この頃の彼は学校側から見ると異端児で要注意人物扱いとなっていたそうで、こうした彼の "作風" に対する反感から、彼の音楽賞出品の資格問題を生み、ついには世論が激昂して パリ音楽院長の辞職にまで発展する "ラヴェル事件" となったというから驚きです。

 ...この話から ストラビンスキーの 「春の祭典」 が、1913年の当時にしてはあまりの斬新さからその初演の時は会場での賛否が分かれて大騒動になったという話などが思い起こされ、あらためて 「"抵抗勢力" は いつの時代にもあるものだ」 と思わされました。

 "抵抗勢力" とまでは言わないにしても、また無意識的にせよ "クラシック音楽はこうあるべし" と思っている人はどの時代にも少なくないのかもしれません ...私自身がそうではないと言い切れるか、ということも含めて。

  練 習 会  2004年 5月 1日

 学生時代の マンドリン・クラブの同期の 仲間達 とは、卒業以来長いこと 年何回かの飲み会の他は楽器を持って集まるなどということもなかったのですが、10年近く前から 年1回の菅平高原 (長野県) で "合宿" をするようになり、2年ほど前から月1回位のペースで 練習会をするようになってきました。

 今年に入ってからは女性も加わり、人数としては 女性 5: 男性 9 の計14名、編成としては マンドリン 7: マンドラ 2: ギター 5 といった アンサンブル らしい形が整ってきて、そうした勢いで会も 3週間に1度の ペースに縮まってきました。

 ...という分けで形の方はともかく、演奏する曲はといえば 学生時代に メインで奏いていた マンドリン・オリジナル曲の難しいものにはなかなか手が出ず、専ら自分達で編曲した唱歌・童謡、内外の民謡・ナツメロといったところです。...なんせ皆卒業以来、"会社人間" として "ん(?)十年" の ブランクがあるうえに、歳をとってから ムリをする気にもなれないという気持ちもあるせいかも知れません。

 では "何のために練習してるのか" と言えば、"(いずれ) 老人施設などへの慰問" を主眼とはしているものの、先ずは自分達が楽しんだり、懐かしんだり、というところに重点がかかっているといった状況です。

 よく人様から 「歳をとっても昔と同じ楽しみ方ができるなんて、いい趣味というか、良い クラブへ入ったものですね。」 などと言われることがありますが、この点、我が仲間達も 「つくづくそう思うね。」 と口を揃えます。 ....でもこの調子だと、慰問などをして回る前に自分達が慰問を受ける側へ回ってしまう、なんていうことにもなりかねませんが、... (^_^;)。

  「モーツァルトの子守歌」  2004年 6月 1日

 「モーツァルトの子守歌」 が実は "モーツァルトとは関係ない 「モーツァルトの子守歌」" であったと判明したのは もう大分前の話になるようです。 今では彼の作品番号として権威のあるケッヘル番号からも削除されているようです。

ギター  で、実の作者は ? というと、モーツァルトと同時代に生きた ベルンハルト・フリース (1770- 1795 ?) という人物で、 "モーツァルトと同じ王宮で音楽家として働いていた"、あるいは "モーツァルトを診た医師で、趣味として作曲もしていた" などの説があります。

 我々 "一般庶民 (?)" としては、それまでこの曲を聴いていて、なんとなく "モーツァルトらしいな" とも思いながら、また一方で "本当にそうかしら ?" という気もなくはなかったように思いますが、 "彼の作ではない" と分かると、"やっぱり、そうだと思った" などと言いたくなってきます。

 彼の伝記・評論 や映画 「アマデウス」 を読んだり見たりしても、子供はいたものの (6人生まれて4人が早世)、そして "大人の子守歌" (?) と言っても良いくらいの、子守歌以上に深みのある作品 が多いとはいえ、彼の生活態度からすれば あらたまって子守歌など作りそうな様子が感じられず、"彼も子守歌を作るくらいの気持ちがあったら、もう少しは普通の家庭的な生活を送っただろうに" とか、一方で "もし彼がそういう人間だったら あのような曲の数々はできていなかったろうに" とも思い及んできます。

 ...考えてみれば、生涯独身を通した シューベルトや ブラームスにも有名な子守歌がありますが、...この二人はどちらも母親の死が子守歌を作らせたきっかけになったようで、"こちらの方は子供がいなくても子守歌を作るような人間なんだなぁ" と思わされます。



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