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 2004年 7月 〜 12月 の 今月のひと言 .

  「井上成美」  2004年 7月 1日

  "井上成美" という名前をご存知でしょうか。 私が知ったのは阿川弘之の同名の小説ででしたが、"海軍きっての知性" と言われた日本海軍最後の大将で、潔癖で妥協を許さない、それでいて リベラルで思いやりのある姿勢・見識もさることながら、敗戦後の清貧な生活など、多くの人に影響を与える何かを感じますし、小説としても格調の高さを感じさせるものだと思います。 ウィーン: モーツァルト像

 ...私自身の勝手な想像の話で恐縮ですが、1986年 (昭和61年) にこの小説が発売され たまたまそれを読んでいる最中に、先日 Upした モーツァルトの ピアノ協奏曲 第22番 の CDを買ったことで、妙にこの両者が結びついたのを思い出したんです。

 小説では、彼の命の焔が消えかかった 1975(昭和50)年12月15日の午後、横須賀郊外(長井)の家からぼーっと海を眺めていて、その夕方に亡くなったとありますが、私には、太平洋戦争に反対しながら将として戦い、多くの部下や一般人を死なせてきた彼が、自身の死を前にかすむ水平線に目をやりながら頭の中で鳴っていた音は多分こういう音に違いないと思ったのがその ピアノ協奏曲 第22番のその部分のような気がしたものでした。

 思えば、我ながらずいぶん安直に結びついてしまったものだとは思いますが、その後もこの曲を聴くと 「井上成美」 を思い出すということは、我ながら そういい加減な結びつきではなかったのかな、という気もしてます。 井上自身 ピアノを能(よ)くしたとはいえ、彼がこの曲を知っていたかどうかも分かりませんが、死を前にして鳴る音楽はどういったものか、などということも考えさせられました。

  ビートたけし  2004年 8月 1日

  ここのところ モーツァルトの話題が続きますが、今回も、先日の テレビ番組で ビートたけし (北野武) が モーツァルトについて語った話を...。

 「人間じゃないとするのね。そうするとね、なんか モーツァルトってね、蝉(せみ)みたいなもんだと思う分け。 土の中から上がってね、木にとまってね、真夏中鳴き続けてね、秋が来る頃ね、声が嗄れてきたみたいな。 だからずっと 35年鳴いた人っていうか。 それがね、自分の力でもなく、..自分の力でもありか、...神の力でもあり自分の力でもあり、ミーンミンミンと一番いい時にずーっと鳴き続けたかなって」。

 「 ...それで、それも簡単な努力とか、そういうことじゃなくて、ものすごい圧倒的な、その神とかいろんな自然とかいろんなものを含んだ圧倒的な力で歌わされたっていう感じがするね。 だから "おまえも努力すればこういう人に" とは違う世界に、はなっからいると思うよ。 違うなんかの力がこう モーツァルトを モーツァルトとしたっていう。 ...」。

 ...この番組は 7月3日(土) 日本テレビ夜9時からの 「ビートたけしが挑む モーツァルトの奇跡」 という 2時間番組でしたが、私は 小林秀雄の 「モオツァルト」 にも通じると思われるこの話を聞いて、MIDIを入力する程の手間をかける価値があると思い、ビデオを何回も巻き戻しながら書き取りました。

 ...なおその後、彼の話は 「だけど熱狂的な受け止め方をされた人の死に方って、所詮 "芸人" なのかなって思うじゃん。 芸人さんの死に方ってこういうことよくあるじゃん。」 と続きました。...ここは遺体の所在も分からない彼の死に様を語ったものです。

  「アルビノーニ の アダージョ」  2004年 9月 1日

 メダル・ラッシュに湧いた アテネ・オリンピックもあっという間に終わってしまい、その最中に NHKで再放送中だった韓国TVドラマの 「冬のソナタ」 も終わってしまいましたが、今月のこのひと言は、たまたまこの両方に関連した 「アルビノーニの アダージョ」 の話です。 マンドリン、マンドラ、ギター

 ひところの "アダージョ・プーム" に乗って、またその後も "癒し系" の音楽として聞こえてくる機会の多い 「アルビノーニの アダージョ」 は、どうもその聞こえてくる場所が、葬儀場が多いようなのが気になっていました。 バッハの 「アリア」 もそうですが、頻繁という程ではないものの、読経の前後などに聞こえてくると 「またか」 と思ってしまいます。

 確かに "癒す" という曲の感じから、そうした場で流されるということに理解できなくはないとしても、亡くなられた方が果たしてそれで癒されるものか、さらには この曲の イメージがそうした曲として定着してしまうのではないか、などが気になります。

 ところが、話は一転しますが、今年大ヒットした 「冬ソナ」 では、(ご多分に漏れず私も、二転三転する筋書きに翻弄されながらも、欠かさず見てきていたんですが) 8月7日の第18話で、主人公の ミニョンと ユジンが 2人だけで結婚式を挙げようとしている教会の中で鳴っている音楽がこの アダージョでした。....私自身、聞こえてくるその場面に、軽い、そして良い意味の、というか、新鮮な違和感のようなものを感じました。

 そしてさらに話はもう一転しますが、今度は 日本時間で 8月14日、アテネ・オリンピックの日本選手団の入場の時に会場に流れてきたのが、なんとこの曲でした。 もちろん行進に相応しい スウィングがかかったような演奏でしたが、これを聴いて私は、シドニー・オリンピックの時の 「カルミナ・ブラーナ」 と同じく、この曲に "晴れの舞台" が提供されたような、なんとなく嬉しいような気になりました。

 ...これらは多分 ヒットしている サラ・ブライトマンの歌などの影響なのでしょうが、それにしても "葬儀イメージで定着しそう" というのは日本だけのことなのか、いや私自身の頭の中だけでそのように定着しかかっていると思っていたのか、考えさせられてしまいました。

  クライバー : 父と子  2004年 10月 1日

 今年 7月 13日、クラシック音楽界の "微笑みの貴公子 (?!)" :カルロス・クライバー (1930-2004) (参照: ウィキペディア) が亡くなりました。 流麗できびきびとした指揮で、"若さ" が目についた、しかも大天才だけに その訃報は ショックでしたが、享年は 74歳でした。

 "甘い マスクで颯爽と指揮台に立つ姿自体が芸術だ" などと言われたりしましたが、一方で うっすらと微笑みを浮かべながらも強引なくらいに オーケストラを引っ張っていく姿は、彼の内側にもつ凄さというか、カリスマ性の恐さのようなものを感じさせられました。 気むずかしがり屋でも有名でしたが、お忍びでも度々来日するほどの大の日本好きでもあったそうで、その一端には、日本が父を知る批評家などのほとんどいない地だからという気安さもあったとも言われています。

 彼は歴史的な指揮者である エーリッヒ・クライバー (1890-1956) (参照: ウィキペディア) の息子に生まれながら親の意向で工科大学へ入ったものの、結局は音楽の道を目指し、やはり歴史的な指揮者として大成しましたが、一面で父親とはずいぶんと異なった演奏の世界を築いたものだと思います。

 父・クライバーの演奏した ベートーヴェンの 「田園」 などは、スポーツで言うなら "世界記録が長らく破られていなかった" と例えても過言ではないような名演奏だったと思います。 一方で 子・クライバーの演奏といえば、真っ先に挙げられる曲は R・シュトラウスの 歌劇 「薔薇の騎士」 ではないかと思いますが、そうした曲目を聞くだけでも、二人の特色も分かるような気がします。

 父親のもつ清潔感・透明感、そしてそれを内包しつつかつ反発しつつもつ子の流麗感・躍動感。 ... "親子の血" の系譜のようなものに大いに感じさせられるものがあると思います。

  初 演 奏 会  2004年 11月 1日

 去る 9月末の日曜日に、日頃 マンドリン・アンサンブル練習 をしている仲間達で初の演奏会を行いました。 "演奏会" とは言っても "初舞台" ということもあって、内々で仲間の家族を招待し、日頃の感謝とそれまでの練習の成果を聴いていただくというもので、演奏者は男女 14名、お越しいただいた家族の方々は 35名。 ...そこそこ "盛会な" コンサートとはなりました。 ファミリー・コンサート風景

 曲は 「浜辺の歌」、「大きな古時計」 などの古い曲から 映画音楽のメドレー、最近ヒットした曲など、いずれも聴いていただく方々にはなじみのもてる曲ばかり 約20曲で、時間は、家族間の懇親を兼ねた ティー・タイム 約30分をはさんで 約2時間。

 東京・東中野の、たまたま日曜日はすき気味となる きれいな研修会場の音響的にもまずまずの大研修室が取れ、さらに事前に ごあいさつや当日の曲目を書いた プログラムも用意。 譜面カバーもきちんと揃え、 ...と、道具立てはなかなかのものでしたが、さてその演奏は、....。

 一口に言って、いやはや (-_-;;) でした。 皆、数ヶ月前からそれなりに練習し、"チョンボも愛嬌のうち" などと気軽に臨んだ筈なのに、マンドリンの トレモロは音が出ないわ、ギターは走り気味になるわ、等々。 ...楽器を持つことのない ブランクの年が "ん十年" もあった者達には、やはり会場に飲まれたんでしょうか、結構 アガッてしまって、終わって皆、反省しきりでした。

 2ndマンドリンを奏いていた私も、いざ 2ndが メロディーを奏くという場面になると、"ここ一番!"という気持ちと ウデが乖離して、からっきし音が出なくなるのには参った、参った、でした。 ..."家族だから気が楽" と思ったのはどうも甘かったようです。 いや、学生時代以降 まだ外で演奏したことのない我々としては、後で "やはり家族の方が楽だった" などということになるのかも知れませんが、....(^_^;ゞ。

  オーディオ趣味  2004年 12月 1日

 私自身がこの趣味から遠ざかってしまったせいもあるのでしょうが、"オーディオ趣味" という言葉があまり聞かれなくなってしまってからも すっかり年月が経ってしまいました。 いや、今は大衆から離れて、かなり限られた層に特化してしまったのかも知れません。

 先日、テレビで マッキントッシュ社の管球式アンプを使っているという人が写りましたが、この マッキントッシュとか マランツとか、さらには タンノイ、シュアーなど、オーディオで垂涎の的と言える名機を生み出してきた会社の名前を聞くだけでも、懐かしいなぁと思います。

  ....昔でも、例えば タンノイの オートグラフなどという スピーカーなど、片側1台で 100万円以上もしたと思いますが、一介の サラリーマンなどにはとても手の出るものではありません。...私などは せいぜい各々数万円程度の オルトフォン社 (デンマーク) の カートリッジ (針の部分) とか ラックス社 (日本) のアンプとか グッドマン社 (イギリス) のスピーカーくらいまでどまりだったですから。

 私自身は今でも昔買った アナログ・レコードを大事にしていて、CDよりもこちらで聴くことが多いくらいですが、やはり "音楽に耳を傾ける" という、言うに言われぬ雰囲気が CDとはだいぶ違うように思います。 ジャケットから レコードを取り出し、軽く盤面を拭いて ターンテーブルに乗せ、静かに針を落とす、といった "作法" も CDに比べれば若干面倒なものの、そうした行為自体にも一種の雰囲気があり、さらにその レコードの溝にそって震える針が音を醸し出す、といった、デジタルにはない アナログの "実体感" のようなものがあるからでしょうか。

 私自身、CD時代になってからは、(オーバーに言えば) "原音追求" の意欲も薄らぎ、CD自体を買う頻度もめっきり少なくなりました。 一部の、しかし決して少なくない趣味人には "原音追求" の精神も根強く生きているようですが、時代が進んで皆が良い音で聴けるようになった代償として、それらの道具類の良いものに憧れ、それらを大事にするといった価値観が下がってしまったような気もしています。



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