タイトル


 2010年 7月 〜 12月 の 今月のひと言 .

  「フォトショップ」  2010年 7月 1日

 私自身、過去 ワープロ・ソフトの 「ワード」 には何かとお世話になってきましたが、最近では ワープロとしても 本来は画像処理ソフトである米アドビ社の 「フォトショップ」 で済ませています。 私は今、この 「フォトショップ」 は スタート・メニューに入れて、ウィンドウズの起動時に起動するようにし、いつでもすぐに画像等の修正だけでなく、文書の作成もできるようにしてあります。 マンドリンと ギター

 もちろん 「フォトショップ」 は、お絵かき、写真修整など画像のための ソフトですから、元々文書作成機能などは貧弱なもので、例えば改行なども リターン・キーを押さなければ改行されないなど、文章中心の文書には本来向かないものではあります。

 が、最近の私の場合、写真や画面から キャプチャーした画像などを パソコンに取り込んだ後、修整して保存したり文書中に取り込んだりすることが多く、楽譜なども 印刷物から スキャンしたり、SSW で作ったものを 「フォトショップ」 で見やすく整え、時には書き込みなどもしたうえで、誰でも扱いやすい jpg画像にして メールの添付資料にしたりしています。

 微妙な位置に好きな記号や書き込みを入れることができるのも画像ソフト故の便利さでしょう。 例えば文字なども、必要により画像情報にすることによって ワープロ機能でもできないほど自在に拡大・縮小、変形、色の調整、レイアウトなど、イライラすることなく簡単にできるなど、これらの便利さは ワープロ専用の ソフトには叶わない使い勝手だと思います。

 さらに言うなら、 「ワード」 などの "機能豊富故の使い勝手の悪さ" から逃れることができるのも貴重だと思います。 余計な "おせっかい機能" が多く、そのくせ自分の望む文書の体裁に仕上げるには イライラするような苦労が多くて、...これは今でも そう頻繁に使うでもない多くの人達にとって ネックになっているのではないでしょうか。 ...文書中に画像を載せることの多い方や、例えば楽譜などをより見やすく調整したい方、特に微妙な配置などに拘りたい方などには、「フォトショップ」 に限らず こうした画像ソフトの身近な使い方は オススメではないでしょうか。

  グレン・グールド  2010年 8月 1日

 先日 NHK-hi で放映された 「グレン・グールド: 永遠のピアニズム」 を見て、音楽の聴き方について彼の考え方に共感できない人も少なくないであろう中、私自身は共感するところが多々ありました。

 元々 コンサートに足を運ぶことがあまり多くなかった私は、最近ますます コンサートに行こうという気が起こらず、今や、知人・友人などから切符を上げると言われても、「コンサートは苦手なんで、...」 と はっきり言ってお断りするくらいにまでになってきてしまいました。 多分今後、私を コンサートに誘ってくれる友達はいなくなるでしょうが、それは私自身の身から出た サビと言うべきでしょう (-_-)。

 ...ところで、グレン・グールド (1932-1982) (参照: ウィキペディア) の方ですが、この ドギュメンタリー番組の中で協演していた ヴァイオリニストの大家: ユーディ・メニューイン (1916-1999) との論争の場面がありました。 ...グールドが 「テクノロジーのお陰で誰でもが自由な スタイルで演奏が聴ける」 と言ったことから、メニューインが 「聴き方に どんな方法があろうと、演奏会が基本形として残るべき」 と発言。 対して、グールドは 「ナンセンスだ。 現代の基本はこっちです」 と、はっきりと録音を聴く方が基本だと主張していました。

 「では、...」 ということで、メニューインが 「もし人が誰も山に登らなくなり、山の映像だけで満足するようになったらどうしますか?」 と言うことに対しても、彼は「良いことだと思いますよ。登山の犠牲者が出ない」、「Oh、No ! それなら交通事故の犠牲者は?」、「私にできることなら、減らします」 といった具合で (^.^)、メニューインは内心 匙を投げた格好でした。

 元々 奇才グールドの "演奏会嫌い" は有名で、彼の録音も つぎはぎだらけだそうですが、録音で聴かれることの方が圧倒的に多い現在でも、常識的には やはり メニューインの考え方のが支持されるでしょう。 ...演奏会を基本としない聴き方の方を積極的に良しとする者、さらには一発勝負ではなく "つぎはぎ"、あるいは MIDI のように 推敲・編集された録音を聴く聴き方を良しとする者は "日影者 (?)" に近い存在なのかも、です。 でも、ここまでこうした考え方を確固として持っている奏き手がいることは、 "日影者" にとっては 多少は日の当たる場所に出たような気になった次第です。

  オペラの不思議  2010年 9月 1日

 歌手が名アリアを見事に歌いきった後など、一斉に拍手が沸き、それが鳴り止むまでは、歌手は悲しい場面では悲しい顔をしたままで暫くそのままの姿勢で中断。 客席は歓喜。 拍手が鳴り止んだら、悲しさも再開。 ...オペラの舞台は、普段 映画などしか見ない人からすれば、不思議で面白い、人によっては ばかばかしいと思われる光景なのかも知れません。

 バレエなども同様で、物語がそれら歌や踊りなどで展開されて行くこと自体、考えてみれば不自然な世界であり、実演であれ録画であれ、観る側の姿勢が オペラ・モードに スィッチが切り替わっていないと、"拍手で中断" など、容認できるものではなく、付き合いきれないということになるのかも知れません。

 曲、歌、物語に純粋に のめり込めるためには、本来 拍手による中断などないものの方が望ましく、オペラの ビデオの映像などでも、ロケ、スタジオ録画、観客なしの舞台録画など、"余計な雑音" の入らない方式のものが多々ありますが、そうした "雑音" のないのも物足りないものです。

 緊張感のうちに序曲が始まった オペラが、一幕終わる度に拍手が大きくなって、全曲が終わると割れるような拍手、などという映像を見ると、こちらもしばらくは その余韻と拍手している人への共感から、映像を止める気にならなくなります。 幕間や最後に 10分以上続く カーテン・コールなどを含めた観客の反応も オペラの一部で、"観客という出演者" のいない オペラ映像は オペラではないとさえ言えるかも、です。

  ...先月のこの "ひと言" での、グレン・グールドの言う "録音の方こそ音楽の聴き方の基本" の考え方の通り オペラ鑑賞も録画が基本であるとしても、矛盾するようですが、オペラに関してはその観る中味は "ライヴの舞台こそ基本" のように思います。

  楽譜の ワープロ  2010年 10月 1日

 先月、当サイト初の試みとして、MIDIソフトシンガー・ソング・ライター (SSW) を持っておられる方なら、曲タイトル、表情記号、歌詞なども表示できる ss4データを ダウンロードできるようにした 「アメイジング・グレイス」 (ストリングス演奏版) の頁を設けたところ、「MIDIソフトで楽譜の ワープロのようなことができることに驚かされた」 といった メールを 何通かいただきました。

 元々 "MIDIデータ" は、白紙の五線紙上に音符を貼り付けていくことによって作られた "楽譜データ" であり、その道具である MIDIソフトは、文章の ワープロにたとえれば、"読み上げ機能付きワープロ" と言って良いものです。 ただ、専門的な楽譜ワープロと異なるのは、読み上げに相当する演奏機能が主目的の ソフトであるために、普及当初は楽譜として プリントアウトすることもできませんでしたし、今でも必ずしも充分完成されたとは言い切れないものの、楽譜ワープロとしても実用に耐えるものとなっています。

 楽譜ワープロとして便利な点は、文章のワープロと同様、格段に作成効率が上がり、メール添付により送付、配布も格段に便利になることはもちろん、例えば、使う人の必要性に応じて スコア (総譜)、パート譜 (特定の担当楽器だけの譜面)、いくつかのパートを組み合わせた譜面など、自由な譜面が作れること、さらに パソコン画面あるいは印刷譜を見ながら カラオケ演奏、練習などもできることなど、MIDIそのものには興味がない方でも けっこう使い道があるということです。

 私と一緒に楽器を奏く仲間の間では、こうした便利さを生かし、ほぼ5年前から、お互いに同じ ヴァージョンの SSW を持ち、互いに メール添付で 楽譜をやりとり しています。 今、各種の楽団でどういった方法で楽譜を準備しているのか、そしてこれが先進的な方法なのか、遅れているのか、など分かりませんが、IT化の進んだ今日、少なくとも手書きで楽譜を作って コピーし、郵送するといった方法には戻れなくなりました。

  「音楽嗜好症」  2010年 11月 1日

 先月、何気なく書店を覗いていたら、「音楽嗜好症」(早川書房)が目に止りました。 "音楽依存症" と言うならまだしも、"嗜好" に問題があるとするなら、例えば "骨董愛玩症" とか "スポーツ堪能症" などという言葉も成り立つのではないかと批判的に思いながら手に取ってみたところ、音楽と人間の関わりの不思議な現象が様々に挙げられていて、その興味から即買って即読み終えてしまいました。 ギター

 著者は アメリカの神経学・精神医学教授の オリヴァー・サックス。 原題は "Musicophilia" (音楽マニア、音楽びいき)。 ...内容は、音楽依存症はもちろん、逆に失音楽症などの様々な例、そして生まれつきの才能、様々な病気と音楽の関係など、異常で極端な例も含めて豊富な事例に基づいて考察されており、これほどまで驚異的な例もあるのかと思いながら、ついつい引き込まれてしまいました。

 そこには、ヘルツ単位で絶対音を言い当てられる人、音と色を関連づけられる人、一度聴いただけで各パートの音の動きまで正確に ピアノで再現できる人、実際の演奏か CDでも聴いているようにそのまま幻聴で頭の中で音楽が鳴るという人、など、部分的には モーツァルト並みかそれ以上の、いくら異常でも人間の脳にそこまでの能力があるのかと思わされる例などが紹介されていました。

 そして例えば絶対音感などなくても天才と呼ばれている人や絶対音感はあってもまるで音楽に関心のない人の例、優秀な学者でも音楽にはまるで ダメな人や白痴や アルツハイマーでも音楽だけには驚くほど正しく反応する人の例、何らかの ショックで天才的に音楽に目覚める人や失う人の例、など、一口に "音楽の才能" と言ってもその内訳は様々であることが、改めて思い知らされた次第です。

 訳者後書きに 「音楽と脳の関係も少しづつ明らかになっているが、本書の多彩な症例を読んでいると、やはり最終的に 『音楽は神の恵みであり、恩寵である』 と感じる部分が残るのではないかと思えてくる」 とありましたが、将に同感でした。

 ...ところで 「音楽嗜好症」 の タイトルですが、読後もやっぱり違和感は拭えなかったですねぇ。

  いたずらバッハ君  2010年 12月 1日

 先月、バッハの 「小フーガ」 を Upしましたが、そのすぐ後、メル友の Yさんから メールをいただき、「この曲には主題が 10回登場するという話がありますが、私には 9回しか聞こえません」 とのこと。 ...私自身 このことを気にしたこともなかったので、早速聴きながら数えてみると、な〜るほど、私も 9回しか聞こえません。 小フーガ楽譜

 楽譜を開き、それを見ながら聴いても 9回です。...もっともこういう曲は主題が展開される (くずしが入れられる) ため、全く同じ形で主題が何回も登場することはあり得ないので、主題そのものの定義によっても 9回か 10回か数え方が異なるものでもあるな、とは思いつつも、それにしても どう聴いても見ても 10回ということはないな、が私の結論でした。

 そう思っていたところ、Yさんが Net上で 10回が正解とする書き込みを見つけてくれました。 そこには 「展開部に入った所にある」 と ヒント的に書かれていたので、早速、再度楽譜を見ながら聴いたところ、う〜む、な〜るほど、10回だ!、でした。

 その場所の楽譜 (右図拡大 を良く見ると、... 5回目に登場する主題に 1小節遅れて、6回目の主題が登場してるではないですか。 ...先行する 5回目の主題は最初だけ はっきりと、そして後行する 6回目の方は最初が散らされて 2小節目から主題そのものが はっきりと現れてきているために、5回目と 6回目が 主題ひとつに聞こえてしまうのです。 でも良く聴くと、同じ音型が はっきりと 1小節ずれて 2回聞こえてます。...こうなると、間違いなく ここには 主題が2つ登場したということで、曲全体では 10回あるという見方が、やはり正解でしょう。

 バッハがこの曲を書いた時に、謎解きめいたことを意図したとは常識的には考えられませんが、この手の込みようは、考えれば考えるほど、聴く人々にちょっとした違和感による意外性を提供し、9回か 10回かで やはり謎解きさせることを意図していた、いわば "確信犯だ" という気がしてきます。 ...識者がこの点 何と言っているのか 私は知りませんが、彼は他の曲などにも色々な仕掛けがあるそうで、その ヨハン・セバスチャン・大バッハを "いじわるバッハさん" といいうべきか?、"いたずらバッハ君" というべきか?、です (^.^)。



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