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 2011年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .

  クレメンス・クラウス  2011年 1月 1日

 クレメンス・クラウス (1893-1954、参照: ウィキペディア) と言えば、毎年元日に行われる ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート の創始者ということで名前は知っているが演奏を聴いたことはないという人が多いのではないでしょうか。 ウィーン: 国立歌劇場前にて

 その クラウスについて書くということは、("通" を気取っているようで恐縮ですが) 私は高校生の時、たまたまあるきっかけから彼の指揮した ウィンナ・ワルツの レコードを手に入れたことから、以後、ウィンナ・ワルツの演奏には クラウスを基準にそれと比較して聴く感覚が身につきました、いや、ついてしまいました。

 私が高校生だった昭和30年代前半、レコードは EP盤 (直径18cm・45回転・収録両面約15分) で 700〜800円。 月 1,000円の小遣いで 1枚買った月は、後はほとんど何も買えない有り様で、2,000〜3,000円もする LP盤 (30cm・33回転・約1時間) にいたってはお年玉でしか買えない、今で言う "マルビ" の状態。

 そんな中、レコード工場で廃棄処分になった、と言うよりも、戦後横行した横流し品の一種かも知れなかった レコードを 7・8枚くれた人がいました。 それは、盤の中心に情報が印刷されている ラベル部分をくりぬいた、曲名も演奏者も分からない、傷だらけの ドーナツ状のもので、ラジオで聴く以外にはわずかに手持ちしている EP盤で聴くしかない私としては、雑音だらけの中から聞こえてくる音でも貴重な贈り物でした。

 それらは、元々 SP盤 (直径30cm・78回転・約15分) 時代の モノーラル録音の復刻版で、その 7・8枚の中に ウィンナ・ワルツの レコードが 3枚あり、聴くほどに (どう判断したのかは今覚えていないのですが) これは クレメンス・クラウスのものに違いないと確信。 その後、給料をもらう身分になって、あらためて収録曲名などから同じ物と確認し、その 3枚を買いましたが、それは、もちろん今でも大事にしているものです。

 高貴な身分の人のご落胤と言われる生粋の ウィーン人の彼の演奏は、その後彼を引き継いだ ウィリー・ボスコフスキーのものなどに比べても、一口に キレのある、"ウィーン気質 (?)"、あるいは "これぞウィーン" を感じさせるものがあるように思われるのと、まだ ニューイヤー・コンサートが ローカルの行事に留まっていた頃の雰囲気もどことなくあって、"原点" を思わせるところが貴重なのだと思います。

 もちろん、彼には ウィンナ・ワルツに留まらず様々な演奏が残されていますが、日本ではあまり評価されることなく、目に止ることも少ないのは残念なことです。(....と言いながら、実は私は、彼の演奏はこの 3枚しか持っていません (^_^;))。

  入魂の一曲  2011年 2月 1日

 もう半年近くも前の話にはなってしまいましたが、昨年9月5日、長野県松本市で 小澤征爾 (参照: ウィキペディア) が指揮した サイトウ・キネン・オーケストラの 「弦楽セレナーデ」 (チャイコフスキー作曲) の 第1楽章は、後々も将に "入魂の一曲" として語り継がれる演奏ではなかったでしょうか。

 癌と診断され、その治療の結果、わずか半年で回復したものの、体重が 15kgも減り、そのために以前からの腰痛が悪化した小澤氏のこの日に医師から許された指揮の時間はわずか 10分程度。 当初予定されていた他の曲の指揮をあきらめ、この演奏も 第1楽章のみ。 それだけにこの曲に凝縮された彼および楽団員のエネルギーは、稀に見る密度の濃いものとなりました。

 元々、サイトウ・キネンの演奏は、一口に "鋼質" と言っても良い密度の高いものがありましたが、この日は小澤氏の気迫を受けて、その度合いを一層強め、かと言って決して "堅い" ものでなく、繊細で、角の取れた丸みのある点でも出色なものだったのではないでしょうか。指揮者と楽員個々の息がよほど合ってないと、こうした演奏にはならないという典型例を見せられたような気がします。

 それと、1992年以来年1回、夏場だけの集まりで、その歴史もまだ 20年にも満たない楽団であるこの オーケストラからこうした音が出るということは驚異的で、斉藤秀雄の志の高さや、皆一致して受け継いでいる、いわば "DNA" を思わせるものがありました。

 (下の演奏パネルは、この「弦楽セレナーデ」 第1楽章の冒頭部分です。 お聴きになるには、この パネルを クリックしてください。)


  Windows 7  2011年 3月 1日

 新OSの Windows 7 発売後 1年半年近くになった1月末に パソコンを買いました。 結局、VISTAパソコンとはわずか 4年足らずのお付き合いでした。 ソニー: VAIO: Windows 7パソコン

 この "ひと言" の VISTA の項を見てみると 「導入段階は残念ながら 散々で、やはりあまり早くには買うべきではなかった、というのが率直な感想であり、...長期的にも VISTAには変えるべきではなかったかも、と思っているくらいです」 とありますが、その後自分自身をそれに (しぶしぶながら) 慣らしてきたこともあって落ち着いてきたものの、最近では起動やソフトの切り替えなどにかかる時間が異常に遅くなってきて、リカバリーと諸設定をし直さない限り回復困難と思われる状況でした。

 元々、内部メモリーを 1Gバイトしか積んでいなかったことが遅さの主因と思われ、メモリーを増設すればなんとかなるでしょうが、その機に Windows 7 へ アップグレードしたい、BD (ブルーレイ・ドライブ) も欲しい、となると新規に パソコンを買う方が良い、という結論で買ったものです。

  Windows 7 の使い心地の結論は ?、...主目的である "速さ" は解決した、BDに録りためた オペラなども パソコンで ハイビジョンで見れるようになった、機能の改善で VISTA より多少使い勝手が良くなった。 ...でも一方で、できなくなった機能、邪魔だが消せない新機能、使い勝手が悪くなった機能なども少なからずあり、さらに今回も私が主に使ってきた ソフトの多くが使えなくなり、今後それらの アップグレ−ド版の出費が必要になって、事前の "不吉な予感" が現実となっています。

 Windows 3.0 以来、4.0、95、97、Millennium、XP、VISTA と、結局 OSの メジャー・チェンジ毎に パソコンも新しく買い換えてきた結果は、諸機能が成熟化してきた昨今、新機能を享受するより こうした出費や手間に払う犠牲の方が勝ってきているような気がしています。 ...今後とも 3・4年に一回位の割でこうした変化にお付き合いする気には、今は とてもなりません。

  悲しい春  2011年 4月 1日

 3月11日に東北・三陸沖で発生した大地震、そして直後の大津波、さらに福島原発の放射能トラブル。 ...日本の国民全体にとって、歴史的に戦災の他、これほど悲しく暗い春はあったでしょうか。 ...直接被災した方々には慰めの言葉もありませんが、心よりお見舞い申し上げます。 グリーク作曲 「春」タイトル写真

 直接被災しなかった者にとっても、この ショックは 日本でいつまた起こるか分からない大震災・津波への恐怖感、そして景気低迷への不安感などを増幅させ、放射能トラブルに至っては世界中の人々にも環境問題、資源問題への不安感を高める結果となっています。 東京、横浜などの繁華街に行ってみても、放射能の不安などから車、人とも少なく、計画停電や自主的な照明ダウンなどもあって、景色そのものが暗く、気分もそれに引かれがちになります。

  ...昔私の少年時代、白黒のテレビで、詩人・作詞家の西條八十の思い出話だったかで、大正時代の関東大震災で上野の山に避難して意気消沈している多くの人々の中で少年が吹き始めた ハーモニカの音によって、人々が生気を取り戻したという場面を見て、大いに納得した記憶があります。

 この種の、いわば "音楽美談" は特に珍しいものでもなく、多分に状況により、また曲などにより、実際には かえって "うとましい" と思われるような、あるいは白けてしまうような ケースもあるかとも思われますが、やはりこうした時などに人々を再起させ得る力をもつ音楽は大きいものがあると思います。 お互いにいい音楽から パワーをもらい、早期の復旧・復興を成し遂げたいものです。

 ベート−ヴェンの時代  2011年 5月 1日

 "ベートーヴェンが生きた時代" の話ではなく、今以上に日本で "ベートーヴェンの音楽が盛んだった時代" があったような気がします、という話です。 もちろん年末の 「第九」 をはじめ今でも彼の音楽は盛んに演奏されていますが、終戦直後 20〜30年の頃に比べて、他の作曲家との相対比較で彼の シェアは低下しているのではないでしょうか。 ウィーン:ベートーヴェン像

 ...だとすれば、その原因のひとつは戦後 クラシック音楽が大衆化して行った過程の この分野の裾野がまだ狭かった時代では、彼の作品が最も象徴的で、それを聴くことが イコール:クラシックを聴くことのように思われてきたこともあるかも知れません。 が、それ以上に、"歌は世に連れ、世は歌に連れ" の喩 (たとえ) のような、"時代が ベートーヴェンを求めていた" という気がします。

  音楽の裾野が大きく広がったことや、特に最近、没後250年とか、生誕200年とかで、モーツァルトや ショパンなどの放送が多かったことなどもありましょうが、それらは別としても、近年 ベートーヴェンより モーツァルトなどの作曲家の演奏の方が聴かれることが多くなったように (あくまでも私個人の感想ですが) 思います。

 30〜60年前の日本が戦後の復興から世界に互して のし上がろうとする時代、例えば水も水道水を飲むのが当たり前、賞味期限とか放射能雨なども概して今ほど気にせず、"草食系男子" などという言葉もなかった、ある意味でたくましく意欲旺盛な世の中では、多分に ベートーヴェンが人々の心の支えの軸になっていた要素は少なくなかったのではないでしょうか。

 ...あたかも "ベートーヴェン = ハングリー" と規定してしまっているようで恐縮ですが、また "希望以外に何もなかった時代から 希望以外は何でもある日本" などという言い方でさえ言われる日本の、どういう音楽が聴かれる時代が良いなどということも一概には言えませんが、3月の東日本大震災後、"復興" という言葉が多く聞かれるようになった今、ベートーヴェンの音楽が、落ち込んだ日本を震災以前以上に盛り返そうとする人々の意志を支えてくれるような気がします。

 ドミンゴ  2011年 6月 1日

 3月11日の大震災以来、外国人演奏家の コンサートの キャンセルが相次ぎ、外国人観光客がめっきり減ったことや在日外国人の相次ぐ帰国などとともに、寂しい思いをした人は少なくないことと思います。

 外国人観光客が減ったことは仕方がないとして、たとえ お国の親が心配してるからなどの理由だとしても早々に帰国した人などには、気持ちは分かるとしても、どこか日本に対する冷たさというか一線を画しているような気がして、そうした意味の寂しさを感じさせられます。 さらに、日本は危険だからという理由で コンサートを キャンセルした演奏家などに至っては、今後の来日はお断りしたいくらいの気にさえなってきます。

  そうした中、今年 70才になっても依然 パリパリの現役で活躍している プラシド・ドミンゴが 4月の日本コンサートの予定を変更せず、その アンコールで日本の童謡 「ふるさと」 を歌っていた4月10日の 舞台の テレビ映像は、やはり うれしいものでした。 会場には一緒に歌いながら ハンカチを目にあてている人が少なからず見られましたが、こちらもその画面を見ていて共感しきりでした。

 ドミンゴ自身、8才から 21才まで育った メキシコで 1985年に起こった地震で親戚を 4人亡くしているなど、震災に対する思いが他の人以上にあったようでもありますが、今回、「日本側の状況次第で日程を変更してでも日本に行く積りだった」 そうで、そう聞くと それが当たり前とも思う一方で、"それでこそ音楽家" という思いにもさせられます。

 彼の オペラの レパートリーは 120以上にもなるそうで、その歌唱力、演技力など "三大テノール" の一人に数えられる スーパー・スターでありながら尊大ぶらない態度、そしてこうした思いやり。 ...彼をますます好きになった人は多いのではないでしょうか。



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