タイトル


 2012年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .

  「あけまして、...」  2012年 1月 1日

 この正月の年賀状については、新聞などでも報じられていたように、実際、葉書売り場では「謹賀新年」 あるいは 「謹んで新年のご挨拶を申し上げます」 と書かれたものがほとんどで、「あけましておめでとうございます」 はかなり少なくなっている状況でした。 マンドリン、マンドラ、ギター

 昨年の東日本大震災や原発事故はもちろん、その他にも タイの洪水災害などに象徴される気候不安、ユーロ圏震源の経済不安、政治のもたつき等から来る将来不安、等々を考えると、今年は残念ながら心から 「おめでとう」 と言い合える雰囲気ではない年明けになってしまいました。

 経済的に限りなく ゼロの状態へ リセットされた終戦直後から再び復旧・復興を成し遂げて経済大国と言われる状態に至った日本が バブル期以後、自身の身から出た サビと それだけでもない諸要因で思うように事が進まない、いやむしろ状況が悪化していくという実感が じわじわっと広がってきているということでもあるのはないでしょうか。

   ここで全く別の話になりますが、先月 Upした ベートーヴェンの 「第九」 第3楽章 に関連して、吉田秀和 (関連記述) の著書: 「私の好きな曲」 の中の 「ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ ハ短調、作品111」 の項を見返していたら、「近年は、これ (このピアノ・ソナタ) を聴いていると、いいようのない悲しみを感じるようになってきた。 悲哀といっても、何も、不幸というのではない。 静かな品位がそこにあるのだから。 むしろその品位が忍従の深さをきくものに想わせ、悲しみを誘うのであろうか? それはまた、私たちが純潔なものにぶつかったとき、感じるあの由来のよくわからない 『悲しみ』 に似ていなくもない。」 の一文に目が止まりました。 ...「第九」 第3楽章もそうですが、「アケオメ、コトヨロ」 の世界には見えないものが見えてくるということではないか、また これは "絆" という文字が昨年 浮上してきたこととも共通したことかも知れないと思いました。

 小 事 件  2012年 2月 1日

 ほんの 1週間位前の夜中の 2時半頃、私の HPのある頁に記述の ミスを見つけ、それを更新し、確認のために当サイトの トップ頁を開いたら、いつもの見慣れた画面が登場。 ...ここまでは良かったのですが、その一瞬後、ギョッとするようなことが起こりました。

 その頁が赤黒い血のような頁に代わったのです。 「この サイトは安全ではありません。他の頁に移動してください。Microsoft」 の文字が出て、閲覧不可。 他の頁に直接 アクセスしても同じ結果。 その警告の 「詳細」 の文字を クリックすると、この頁が安全であることを フィードバックできる ボタンや HP管理者が保証するようにできる ボタンがあり、私は もちろん ただちに両方とも操作し、後者では必須入力項目の名前、住所も併せ 送信しました。

 時刻が時刻でもあり、少なくとも夜が明けないうちは復旧はないだろうと思い、風呂へ入り、入りながら考えました。 ..."なんでこんなことになったんだろう ?"、"多分、何かの安全基準に引っかかって、あるいは誰かがこの サイトは安全ではないの ボタンを押したために、コンピューターが自動的に刎ねたんだろう。"、"誰かの ボタンひとつで自動的に危険の レッテルが貼られるとしたら大いに問題。"、"これが商用の サイトだったら、一度でもこんなことが起こったら 以後の信用にかかわり、実損も生じるだろうに。"、"安全のためのこうした対応はありがたいことではあるものの、そして危険判断の精度がまだ十分でないことは渋々許すとして、そうした処置をする前、あるいは緊急なら事後すぐにでも、HP管理者に一言でも メールなどで通知するのが最低の礼儀だろうに。"、...等々。

   そこで、はたと、"まさかこの手の フィッシング詐欺じゃないか?" と思い当り、わが身が一瞬固まりました。 いつか何かの記事で、「この頁が ウィルスに感染してます」、あるいは 「他者に操られています」 などと HPの危険を指摘して自分の頁に誘い込み、詐欺や ウィルス伝播を働く例があるという記事を見たことがありましたが、"それかも ?" と思った分けです。 思えば、思いがけない出来事で あわてていたために、本当にこの警告が Microsoft社からのものだったのか十分に確認しないまま、こちらの住所なども含めて管理者としての個人情報を送信してしまったことが後々大きな アダになるかもと思うと気が気ではなく、いまさら遅いとも思うものの、早々に風呂から上がって、また我が HPに アクセス。

   ...なんと、警告は出なくなってるではありませんか ! ...この間 約1時間。 私にとっては将に "小事件" でしたが、Microsoft社からの メールなどは一切 ナシ。 原因も 本当のところは詐欺師からの疑似の警告だったのかどうかも、今だに不明です。

 由紀さおり現象  2012年 3月 1日

 由紀さおりが歌った CDが 全米 iTunes jazz部門 第1位になって その人気が ヨーロッパ他各国にも飛び火しているという ニュースは、東日本大震災後の "なでしこジャパン" に続く、日本人を勇気づけるに足る快挙といえるのではないでしょうか。

 外国での彼女の コンサート後の観客の一様に感激したという顔を見ると、「へぇ〜、そうなんだ」 とあらためてこちらが気づかなかった思いを新たにさせられます。 どうやら彼女自身、同じような思いのようですが、天性の声の きれいさが国籍に関係なく人々を引き付けたということは大いに納得、として、さらに、外国人には理解できない日本語の歌詞で歌っていることも要因であったという論には、いい意味で考えさせられるところがあります。

 それは、例えば エリザベス女王の スピーチや 京都・大原に住む ベニシア (ベニシア・スタンリー・スミス) の朗読などを聞いていて、音楽は鳴っていなくても音楽を感じるさせるといった印象が やはり日本語にも立派にあるんだ、と思わされたということではないでしょうか。...また考えてみれば、国内でも源氏物語などの朗読や地方の方言で語られる昔話などから受ける同じような感覚は 既に多くの人が意識していることでもあり、それら昔から熟成された美しい日本語を大切にすることを前提に、それに自信を持っていい、あるいは自信を持て、ということなんではないでしょうか。

   この ヒット以来、色々な テレビ番組での彼女への インタビューも目にしますが、その中でご本人が言ってるように、姉の安田祥子と続けている日本の 「故郷」 や 「浜辺の歌」 などの童謡、抒情歌などの歌唱が生きていることも、そしてやはり彼女が言っている、こうした歌が最近ではあまり受け継がれなくなってきていることへの懸念も大いに頷けるところではあります。

 「隠居の ススメ」  2012年 4月 1日

 私がたまに切り抜くことのある古い新聞の切り抜きが出てきました。 古いと言っても昨年9月のもので、私自身忘れかけていたものですが、"天野さんが唱える達人の教え" として "人生遊ぶ 隠居のススメ" というものでした。

 天野さんとは コラムニストの天野祐吉氏で、記事は "自らも隠居の道を歩みながら、達人たちから心得を聞き、こわばった社会をほぐす メッセージを投じてい" て、それらは 「隠居大学」 という本にもなっているそうで、この記事には次の 3項目が大きく掲げられていました。

 "1.猫の自由に学ぼう 〜 忠実に一生懸命働く犬に対し、猫は気が向かないとやらない。人間の中には犬と猫が共存しているのだから、猫をもっと育てよう"、"2.いい加減にしなさい 〜 ほどほどが、好い加減。カッカカッカする高熱でも、クールに突き放す低熱でもなく、平熱で生きて行こう"、"3.うふふ力を磨こう 〜 うふふ力=ユーモア。 ぎくしゃくした社会をほぐすのに最も必要なもの"。

   また達人のひとり、横尾忠則氏の 「お金を稼ぐための仕事をやめた」、「自分の時間をつくるため、よほど世話になった人以外は葬式にも行かない」、「アーティストは自分以外に忠実になっちゃいけない」。 また 「老人力」 の著書で知られる 赤瀬川原平氏の 「老人の忘れっぽさを悪く捉えるのは効率主義の発想、悲しみや苦しみを忘れられる力でもある」。 そして天野氏自身の 「原発やめて電力がなくなって、日本が貧乏になってどうするんだって言うけれど、どんな状態になったってみんなで面白く遊ぶ知恵は持てるはず。」 などの言葉がならんでいました。

   フェースブック流に評価すれば、将に 「いいね!」、で〜す。 ...お蔭で早速、こちらも "今月の ひと言" は ほとんどこの記事の 転記で済ませた いい加減 (?) なものとはなりました (^_^;)。

 パソコン連携  2012年 5月 1日

 2台の パソコンをひとつの マウスや キーボードで操作でき、しかも パソコン相互間の ファイルの移動なども その マウスで コピー&ペーストでできるという、最近 私が使い始めて便利している デジタル・グッズの話です。 ケーブルで繋いだ 21インチ Win7パソコンと 7インチ XPパソコン

 物は ラトックシステムという会社から発売されている "REX-KMSU1" という、この 1月に パソコン誌に紹介された パソコン間を繋ぐ USBケーブルで、私自身、使い勝手など疑問符がつきながら 3,000円という価格に惹かれ買ったものですが、2台の パソコンを渡り歩かなければならない、すなわち最近常用している Windows 7パソコンで MIDIデータを作成した後、XPパソコンでしか使えなくなった ソフトで MP3に録音 してる私としては、買って正解でした。

 Windowsが Vista、7、と バージョン・アップ して以降、それらと XPパソコンとの連携は必須になり、しばらくは LAN接続して ファイルの作成・移動・複写などをしていましたが、作成作業などは別々に マウス操作しなければならず、さらに LAN自体 時々不調を起こすため、結局、ファイルの移動などは USBメモリーに写し、それをもう一方の パソコンに再度写すという、なんとも原始的で不便な操作を相互にやりとりしていましたが、そうした不便さから解放されました。

   ひとつの マウスに手を乗せたまま、右の パソコンにある ポインターに画面の左端を突き抜けさせると左の パソコンとして使え、それがまた右端を突き抜けさせると右の パソコンとして使え、両者の ファイルの移動なども自由自在。 その操作感も良く、私と似たようなことを強いられている方だけでなく、古い パソコンを遊ばせておきながら 1台で多くの窓を開いて使われる方や "ながら族" の方などにも、LANや "1パソコン2画面" の使い方などよりも オススメではないでしょうか。 ...普段 音を イヤフォンで聴いている私としては、それも マウスと同じように片方に繋いだままで聴けるといいんですが、...そこまでは無理でしたね (^_^;)。

 訃報の連鎖  2012年 6月 1日

 この 5月18日に ドイツの バリトン歌手: ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (享年 86才)(参照: ウィキペディア) が、22日には音楽評論家: 吉田秀和 (享年 98才)(参照: ウィキペディア) が、そして 24日には日本の バリトン歌手: 畑中良輔 (享年 90才)(参照: ウィキペディア) が、相次いで亡くなりました。 これらの誰とも特別な関係などない私ですが、この訃報の連鎖に、不思議と言えば不思議な思いをしました。

 私が 初めて フィッシャー=ディースカウに言及した 「パパゲーナ!、パパゲーノ!」 の頁を内々で Upし、それを知人・友人等に連絡したのが 2012.5.19. 午前0時過ぎ。 その直後、何気なくその頁に書いた同氏の ウィキペディアへの リンクを クリックしたら、その頁が ついさっきのものとは書き替わっていて、"2012.5.18.死去" とあり、あまりの偶然の タイミングに一瞬目を疑い、そして震えがきました。 ...実はこれを書いている最中から、理由もなく彼の命脈が尽きかけているような気がして、しかもしきりに気になっていたのです。 "何気なく クリック" といのも、実は何かそういうことが気になっての クリックでした。

 そして、「パパゲーナ!、パパゲーノ!」 の Up と同時に、 「フィガロの結婚」 序曲 の解説文を 吉田氏著の 「モーツァルト」 を引用した文章に改定して Upした、その吉田氏の死去がその 4日後の 22日 (新聞報道は27日になってから)。 さらに、日本で パパゲーノ役でも第一人者だったと言って良い 畑中氏の訃報がそのまた 2日後。 ...そうなると、ますます何か神がかったような連鎖反応を意識しない分けにはいかなくなって、暫くは不思議な感覚にとらわれました。

   ...あらためて これらお三方にはご冥福をお祈りいたします。 特に フィッシャー=ディースカウには シューベルトの 「冬の旅」 他の多くの歌で、吉田氏には、朝日新聞での 「音楽展望」 他の多くの著作で、各々 ひと言で言えば、(やや オーバーな言い方ですが) "若い頃から ひとかたならぬお世話になった" という思いがありますが、同じような思いを持っておられる方は少なくない、いやかなり多いのではないかと思います。

   なお余談になりますが、上記で "特別な関係などない" とは言ったものの、20年位前、家内と鎌倉駅にほど近い、狭い露地を散歩していた時、我々の前を ドイツ人の奥さんと吉田氏が歩いておられて、それに気がついた時はかなり近くに迫っていたために、氏の方から道を譲っていただき、恐縮した記憶がありますが、私にとってはそれが唯一 同氏との "特別な関係" ではありました。



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