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 2014年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .

往く年・来る年  2014年 1月 1日

 大晦日の NHK 「紅白歌合戦」 の放送が終わって、間をおかずに始まる 「往く年、来る年」。 それまでの明るい喧噪の世界から、一瞬のうちに、暗く静寂な世界に切り替わる、この瞬間、あるいは "落差" が見たくて、「紅白」 の終り頃から目を離せない人も少なくないのではないでしょうか。 永観堂

 だいぶ昔のことですが、”ブラジルに住む日本人達で、毎年、この 「紅白」 の ビデオを見る会があって、それまで わいわい言いながら見ていたものが、映像が 「往く年・来る年」 になると、皆しゅんとして、涙する人もいる” という記述を新聞で読んだことがありましたが、離れた所とはいえ、いや逆にそれだからこそ、こちらも非常に共感を覚えた記憶があります。

 この映像のイメージは、大抵、暗い雪道を防寒服に身を固めた家族やグループが言葉少なに歩いてきて、その行く先のお寺では除夜の鐘が鳴り始め、本堂には多くの人が読経している、あるいはお参りしている様子など、...毎年、所そこ変われ 同じような映像ではありますが、何百年と日本人が大事にしてきた何かを感じさせるものがあります。 ...昨年 (とは言っても、ついさっきですが) は、奈良の唐招提寺でしたね。

 ...今こう書くのも、実は 1ヶ月ちょっと前の 11月末に 京都の紅葉を観に行き、それまで見たことのなかった東福寺や 永観堂 (写真) を拝観し、永観堂で多くの人の後ろをぞろぞろとお堂を巡っているうちに聞こえてきた僧侶達の読経に大いに感じ入ったからでした。 これほど実体感のある、"音楽以上" とも言えそうな "音楽" は聴いたことがなかったような、そして 「往く年・来る年」 の始まりの時のような、しみじみと "日本人" を感じる瞬間に立ち会えた気がしました。

クラウディオ・アバド  2014年 2月 1日

 この 1月20日、現代最高の指揮者: クラウディオ・アバド (1933-2014、参照: ウィキペディア) が亡くなりました。 享年 80才。

 私が初めて彼の指揮姿を見たのは、LD (レーザー・ディスク) での 歌劇 「セビリアの理髪師」 の 序曲 の演奏時の映像でしたが、一見 30才にも届かない若造のように見えた彼が、過酷なほど早くきびきびした棒さばきで ベテラン・オーケストラをぐいぐい引っ張っていく様は、当然とはいえ 年齢など意識させない、この世界の厳しさみたいなものを感じさせられた気がしました。

 ちなみにその映像は 1972年のもので、アバドは 39才、演奏は ミラノ・スカラ座管弦楽団。 彼はその後、ロンドン交響楽団、ウィーン国立歌劇場音楽監督、そして カラヤンの後継者としての ベルリン・フィル芸術監督など、輝かしい経歴を歩んだことは皆さん良くご存知の通りで、2000年に胃がんで倒れたものの、2003年に日本での高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した 70才時点の映像ではその不安を感じさせない、むしろ "働き盛り" を感じさせるほどのものでした。

 ここ近年、よろけはしないかと多少心配させるような足取りで、指揮ぶりにも老人っぽさ目についてきてはいたものの、それは特に病を感じさせるものではない、いわば歳なりのもので、昨年8月の 2013年ルツェルン音楽祭での 「エロイカ (ベートーヴェン: 交響曲第3番)」 (第2楽章部分 の演奏を聴いても、力のみなぎった、かつ知的なものでした。 ...今後さらに円熟した演奏を聴かせてほしかったという意味で、まだまだ若く、惜しまれる存在でした。 

親切設計  2014年 3月 1日

 何ヶ月か前のある日、出かける時に絶対忘れてはならないある物を、忘れることのないように玄関の下駄箱の上に乗せておきました。 翌朝、いざ出かけようと支度した時にはそのことを忘れ、さんざん探し回って、いい加減探し疲れたころに、下駄箱の上にあるのを発見。 ...歳のせいか、自分自身に対する "親切設定" が アダになるようなことが増えてきてます。

 そのこととは "似て非" の話かも知れませんが、パソコン・ソフトにおける親切設計が かえって混乱の元になってる例は多く、"歳のせい" という以前に、親切設計とは知らずにあらぬ苦労をさせられる ケースは少なくありません。 例えば Windowsの エクスプローラなど、閉じた筈の フォルダーが開いてしまって位置がずれ、そこへ移動しようとした ファイルがどこへ入ったのか行方不明になったり、それを探そうと検索をかけると、今入力した文字でないその前に入力してあった文字が復活して検索を開始したり、...。

 エクセルや ワードなどは、今の私から見ると、やっかいな親切設計の オンパレード。 いや、"親切" と"不親切" の判断基準が私の頭と あまりにもかみ合わない。 表中や文書中の文字の並びをきれいに揃えようとして、えらく時間を食うなどということもしばしばです、いや、しばしばでした。

 最近、私は本来なら ワードで作る文書など、専ら写真修正ソフトの フォト・ショプで作っていますが、文字の記入などは 禁則処理機能さえない メモ帳 (Notepad) と同程度のものですが、文字の種類、大きさ、行間、色などは自由自在で、とにかく行き詰まったら最終的に文字 (テキスト) を画像にしてしまえば、縦、横、斜め、変形、裏返しまで 何とでもなるため、ずっと ストレスなく作れています。 もちろん同じ ソフト上で本来の機能である写真や図の調整もでき、何よりも親切設計の煩わしさから解放されているだけでも、この方がはるかに使い易いと思っています。...が、それも最近買った新Ver.の方は、いわば "お蔵入り" で、専ら 5年位前の、あまり "親切" でない Ver.のもので使っています。

XP終了  2014年 4月 1日

 この 4月9日をもって マイクロソフト社が XPパソコンへの サポートを終了するということで、買い換えを迫られた方も多かったことでしょうし、企業によっては、その対応や出費も大変なことだったと思います。

 既に Vistaを経て、今、Windows7を使っている私は、ここへきてのそうした対応の必要性はありませんでした。 むしろそれよりも、我が家には 2台の XPパソコンがあるものの、今のうちに もう 1台、XPパソコンを確保しておきたいという心境にあります。 それは、今後とも どうしても XPパソコンがないと困るという利用環境に置かれているからです。

 これまでも この "今月のひと言" にも書いてきたことですが、当サイトで鳴っている曲の音が ヤマハの XG音源を使っていて、その音源は XPパソコンの時代に販売終了となってしまい、その後の Windowsにはインストールできなくなっているためで、今だに より音の質感の優れた MIDI音源に出会えていない私としては、今後とも XPパソコンを使い続けるしかないのです。 また、もし今後、音の質感の優れた音源が見つかったとしても、既に Up してある 400 以上の曲の音質とは統一性がとれなくなるだろうことも心配です。

 今でも 私の XPパソコンは XG音源を使って MP3に録音するだけのために使っていて、Netにも繋げていないので、サポート終了の影響も今後とも無縁ですが、単一目的のために古いパソコンを持っておかなくてはならないということは、考えてみれば、一台で何でも用が足りる筈の道具としては不便な話ではあります。 ...とはいえ、マニア的にこだわって特殊な使い方をする者には、これくらいのことは当たり前と思うべきなんでしょうね。

ネットライフ  2014年 5月 1日

 学生時代には毎日何時間も奏いていた マンドリンも、就職して暫く後からは全く楽器に触ることさえない期間が長く続き、そして リタイアして旧友との合奏や訪問演奏などで また楽器を持つ機会ができましたが、私の場合、今はそれもせいぜい年に 10日程度、....合奏を前にしても ほとんど練習してそれの臨むということのない、今の私の実態ではあります。

 当然ながら マンドリンの弦が切れるということもほとんどなく、しかも スペアも残っていたために、弦を買うということも 10年以上もなかったのですが、ここへきて スペアのなくなった D線の弦が切れ、いよいよ買わなくてはならないことになりました。

 ここのところ足が遠のいていた有名楽器店などを見てみたりしましたが、案の定、昔はあった マンドリンの弦が展示販売されている店などはなく、寂しい思いもしながら、我が家から比較的近い店で取り寄せてもらうしかないな、と思いつつ帰宅。 ....そうした末に思いついたのが、「Net通販があるじゃないか!」。 ...ここまで読まれた方からは なんとも バカなと思われるであろう思考過程ではありました。 ...もちろん結果として、その 2・3日後には Netで比較し購入した新しい弦が、我が マンドリンに張られていました。

 "ネットサーフィン" などという言葉が流行っていた 十数年前、ちょっとしたことを調べるにも、出かけたついでに書店の棚にある何冊かの本を見てみるという習慣から抜け出せなくて、後から 「Netがあったじゃないか!」 と思ったことも何度かありましたが、今回、もう 18年も ホームページを掲載しながらも、依然として "ネットライフ" といった感覚が わが身に着いていないことを思い知らされたことでした (-_-;)。

ライブ・ビューイング  2014年 6月 1日

 先日の テレビの経済ニュースで 「映画館などで スポーツや コンサートなどの生中継を観る "ライブ・ビューイング" の市場が拡大しつつある」 という ニュースを見ました。 昨年の桑田佳祐の コンサート時には全国 120館の映画館で 2日間で計 6万人が観たそうです。

 「生で観たいが遠くて行けない」、「切符が売り切れで買えなかった」、そして デジタル技術による映像の高画質化によって 「家で観るより臨場感がある」 など、観る側の ニーズはもちろん、CDなどの売上低下や劇場離れなどを カバーしようとする売る側の ニーズと相まって、今後とも有望な市場であることは間違いないようです。 海外にまで展開できる可能性を考慮すれば、計り知れない広がりをもつと言っても過言ではないかも知れません。

 最近、オリンピックの時などに選手出身の地元の体育館などで大型スクリーンを前に大勢の サポーターが応援している光景はよく目にしますが、ライブビューイング放映中の映画館内も多分これに近い雰囲気があって、少なくとも一人で家でじっと見ているなどに比べれば、はるかに満足感の得られる観戦、あるいは鑑賞になることでしょう。 (ただ、オペラも既に メトロポリタン歌劇場がこうしたことを世界に向けて行っていますが、私自身に関して言えば、オペラを同時中継で観たいというほどの気は今後ともなさそうです。)

 今月中旬には ブラジルでの ワールドカップ・サッカー大会が開催されますが、思えば遥か昔の テレビ普及前、力道山出場の プロレスの試合を観るために、電車に乗って熱気あふれる人垣の隙間から街頭テレビを見た時代を思い出しますし、また嵐寛寿郎主演の 「鞍馬天狗」 などを上映する映画館で、間一髪で助けが来た場面などで、スクリーンに向かって拍手が沸き起こったりした様子などが思い起こされます (あまりにも古い話ですね)。 ... 応援の声が届かない "半ヴァーチャル" な観戦・鑑賞ではあっても、こうした いわば "同時共感" の ニーズは、"出し物" によっては 時と所を超えた普遍的なものがあるな、と思いました。



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