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 2014年 7月 〜 12月 の 今月のひと言 .

グリュミオー  2014年 7月 1日

 今まで名指揮者についての私の感想はこの "ひと言" で述べていますが、ピアノや ヴァイオリンの名演奏家については一人もなく、この辺でその一人を、ということで取り上げたいのが ヴァイオリンの アルテュール・グリュミオー (1921-1986) (参照:ウィキペディア) です。

 ベルギーに生れ、パリに留学。 終戦後、クララ・ハスキルと コンビを組むなどして頭角を現しましたが、絶賛されるべきは、なんと言っても、音のしなやかさ。 他の ヴァイオリニストとはすぐに聴き分けがつくほど、それは明快なものだと思います。

 ...ちなみに、この稿を書くにあたって ウィキペディアを検索したら 「いずれの曲目においても、グリュミオー独特の ヴァイオリンの艶やかな音色と、瑞々しいまでの抒情性が抜きん出ており、同時に気高い品格を感じさせるのが グリュミオーの演奏様式の特色である。特に、グリュミオーの ヴィブラートは ヴァイオリンの演奏史上最も美しいと称される。」 とあり、全くその通りで、敢えて下手に私の書く必要もなく、そのままここに コピペさせてもらいました。

 私の出会いは、そもそも何の曲だったかは忘れましたが、その後 彼の演奏する バッハの シャコンヌ を聴いて以来、この曲は彼の演奏するものしか聴かなくなったくらいでした。 ...で、私が持っている レコードを今確認してみると、モーツァルトの ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタは、(セットで買ったものではなかったですが) 全て彼の演奏したものだけでした。 なお、それらの ヴァイオリン・ソナタの ピアノも やはり全て ハスキルでした。

タンノイ  2014年 8月 1日

 「1964年7月25日、はるばる海を越えてついに タンノイは私の家に届けられた。 私は涙がこぼれた。(中略) それからの、ステレオの、さまざまな試聴のたびに私の味わった狂喜はどんなだったか、これはもう察してもらうしかない。」 ...作家:五味康祐の 1969 (昭和44) 年発行の 「西方の音」 の一節です。

 スピーカーでは 世界最高峰と位置づけられる イギリスの タンノイ社 の、とりわけ オートグラフ は当時 1台 100万円以上もしていて、私などには手も届かないどころか、耳にすることもなかった、いわば "垂涎の的" でありました。 秋葉原の高級オーディオ店には飾ってあっても鳴っていることはなく、音を聴いたのは晴海での オーディオ・フェアの会場での 1回だけでした。

 ...最近 (ここ 2・3年)、クラシック音楽を聴く会といった会合で接したわずか数名の方と話をしていて、そのうちの 3名の方が持っている スピーカーが、なんと タンノイでした。 そのうちの 2名の方のお宅で聴かせていただきましたが、1名の方がこの オートグラフで、アンプは マッキントッシュの管 (真空管アンプ)、ガラードの ターンテーブル、シュアーの カートリッジ、....世界最高峰を集めた、私にとっては一口に "コンポーネント (ステレオ・セット) の ヴェルサイユ宮殿" にでも来たというような気がしました。

 比較的身近な方々が今こうして憧れの装置で聴いておられる、いい時代になったとも言えましょうが、昭和40年頃とは貨幣価値が大きく変わった今でも 依然これらはきわめて高価なものであり、そこそこには オーディオ に凝った時期もあったものの 今やわずか 2,000円位の イヤフォンか 2台で数万円の ボーズの小型スピーカーで聴いている私自身の努力と執念の無さを感じた次第です。

電子化と "文化の崩壊"  2014年 9月 1日

 私の パソコンの中にあった、もう 3年も前の新聞の切り抜きの写しが出てきました。 「電子書籍が出版文化を滅ぼす」 と題した、ジャーナリストの 山田順氏に取材した記事です。

 山田氏曰く、「ネットの世界では調べ抜き、考え抜いた プロの発信する情報も、素人の情報もまったく同列です」、「質の高い作品や情報をつくり、流通させるという社会の重要な機能は失われ、残るのは不特定多数の人々による、信頼性も質も保証されない大量発信だけです」。 そして "取材を終えて" として 「山田さんが心配するのは、ネット上の情報の低価格化、無料化が最終的にもたらす "文化の崩壊" であり、絵空事とは思えない」 と付記されていました。

 たしかに この問題は、多くの人が互いに自粛するなどももちろん、法規制なども今更できる分けもない、いわば出口の見つからない、世界的に、また将来的に深刻ともいえる問題なのかも知れません。 ...こうして Net上に曲を Upしている私自身の気持ちからすれば、これまで関心のなかった方が、私が良いと思っているものに少しでも興味をもっていただければ、あるいは喜んでいただければ嬉しいという、一口に言えばそれだけのことであり、同じように 特に "文化" を意識して載せているなどという人は少ない筈です。

 ...が、"信頼性も質も保証されない大量発信" に加担しているのかも知れないとも思うと、確かに "文化の崩壊" を他人事のように言っていいのだろうか、あるいはこうした いわば "無邪気な善意" が結果的に世の中を汚すようなことになっているのでは?、という思いもないではないことも事実で、こうした記事を読むまでもなく、このことも多くの提供者に大なり小なり同じような思いがあると思います。

 ただ、ネットなど思いもよらなかった遠い昔から プロ・アマ、方法論などには関係なく、様々な分野で様々な作品が世に出され、玉石混淆の中から結局は良いものが残って今にあるということを考えれば、そして時代に合わなくなった方法、手段が消えて行ったことも考えれば、将来も、ネットによってそれらが加速され、時代遅れとか 質のあまり高くない プロは より早々に退陣し、ごく少数の質の良いものに より多くの目が注がれたりなどしながら、結局はやはり 良いものが残っていくという、形こそ変われ 依然として過去と同じ図式が展開されていくとも思いますが、...。 例えば、古楽器や マンドリンなどによる演奏も、今の時代に合うかどうかは別として、多くの人にとって実演には滅多に接する機会はなくても、楽器、演奏者とも現代文化の中に生きていて、しかも動画や音だけなら、質の高いものも含めて 昔より はるかに容易く享受できていますから。

半分は オペラ  2014年 10月 1日

 もう何年も前の テレビでの インタビューで 小澤征爾がこう言ってました。 ...「私は オペラなんかほとんど勉強してこなかったが、カラヤン先生に、クラシック音楽の半分は オペラなんだ、お前もこれからはもっと オペラを経験しなきゃいかんと言われた」 と。...これを聞いて、私は "オザワにしてからがそうなんだ" と妙に共感した覚えがあります。

 日本でも昔から オペラの全曲版も多数売られ、それなりの売り上げもあったとは思いますが、レコード売り場の面積を見ても 交響曲や管弦楽団、室内楽他などと比べて、オペラ分野はわずかで、それだけ客の オペラへの注目度は、今から見ると低い レベルにあったと言えそうです。 昔 オペラ通といわれた人でも、"実際に観た"、あるいは "全曲盤の レコードを持ってる" といっても、今から見ると それらはほんの有名な一握りの範囲の演目に過ぎなかったのではないでしょうか。

 ...今なぜこんなことを書くのかと言いますと、先日 Upしました 「ヴィリアの歌」 の コメントに "有名な歌" と書いたことから、「有名だと書いてあったが、知らなかった」 という メールを何人かの方からいただいたからです。 確かに今では知ってる人も多く、マンドリンで演奏される機会も多いこの歌も、私自身知ったのはそう古くなく、学生時代にはこの歌の存在すら知りませんでした。

 どういう具合か 「愛の妙薬」 の中の 「人知れぬ涙」 は学生時代も演奏していましたが、今ではもっと有名と言える 「私のお父さん」、「オンブラ・マイ・フ」 など学生時代には聞いたことがありませんでしたが、今から思うと こうした変化には映像の進化が大きく貢献しているのではないでしょうか。

 レコード時代、オペラを聴くには解説の頁を読んで今どういう場面かを想像し、歌詞の頁で歌っている意味を読み取るという忙しい聴き方をしていたことに比べれば、動画では一目瞭然。 画面を見ているだけで全てが分かります。 しかも LD、DVD を経て ハイヴィジョン画像の BD の時代となって画質が向上してきたことも、決定的に我々を オペラに近づけたといえると思います。 お蔭で今の私の聴く曲も "半分は オペラ" の状態となってきました。

精神的な自給自足  2014年 11月 1日

 新聞で 10月26日に亡くなった 赤瀬川原平氏 (参照: ウィキペディア) について書いてあったコラムを読んでいて、「目指すは "精神的な自給自足"」 の文字に目が止まりました。 氏の書かれた 「老人力」 にあるそうですが、私はまだ読んでいないのでその正しい意味が分かりませんが、この言葉だけでも考えさせるものがあるなと思いました。

 "精神的な自給自足" とは、多分 金をかけずして精神的な満足感を得るということだろうと思われますが、それは何だろうか。 音楽でいえば、少なくとも演奏会などはもちろん、CDなどを買って聴くなどは先ず除外。 自分で演奏するのもそれ自体は タダとしても楽器代はかかっており、歌や演奏、そしてこの サイトで載せている MIDI を作って楽しむのも楽譜が必要で、突き詰めれば 自作の俳句や和歌などと同様、作曲など "創造" を楽しむといったあたりだろうなと思います。

 そして究極の自給自足となると、多分、空想、夢を楽しむといったあたりのことになると思いますが、それはもういわば "恍惚の人" の境地であり、現実的には "できあい" を次第に排除していき、純粋に自分の頭の中から自分の満足感を得るようにしていく。 ...これは考えてみれば素晴らしいことだなと思いますが、その反面、才能のある人には五線紙とペンで足りても、五線紙を前にしても何も出て来ない凡人にはやはり遠い話ということになるでしょう。 だから "目指す" という言葉も添えてあるのだと思います。

 ...私自身最近では演奏会場へ足を運ぶことや、CDや BDを買うことも ほとんどなくなり、せいぜい テレビから撮った無料の ビデオ。 そして回数が減ってきた友人との アンサンブル。 逆に 依頼される分もあって増えてきた "MIDI いじり"。 けっして金がないという分けでもなく、ただ歳をとって億劫になってきたこともあって、結果的に "自給自足" へに近づいてきているようではあります。

 ..こうしてあれこれ考えていくうちに、「目指すは "精神的な自給自足"」 が "そうありたい" という意味で分かったような気にはなりました。 MIDIでも、買った楽譜に首っ引きで パソコン画面上の五線紙に ポチポチと入力することから、できることなら自分の頭から出てくる音の方を中心に入力していけるよう目指したいものではありますが、その前に "先ずはその本を読んでみなくっちゃ"、です。

ある日突然  2014年 12月 1日

 自分では思い当ることは何もしていないのに、ある日突然 パソコンが言うことを聞かなくなった、設定が変わってしまって混乱に陥ってしまった、などという事態は、どなたも経験のあるところだと思います。

 先日も友人から 「ワードで黒字で書いていた文書が急に赤字に替わってしまって、元に戻せなくなった」 という メールをもらいましたが、そうした経験のない私には適切な アドバイスもできず、色々試して、結局 「ワードを インストールし直してみたら?」 といった暴挙かも知れない アドバイスをしたところでしたが、こうしたことは、昔に比べて個々の ソフトでは減ってきたとは思いますが、トータルでは けっして減ってないような気がします。

 私自身での最近の傾向では、大事 (おおごと) というほどのものではないものの、特定の不具合が起こり、決定的ではないことと 直し方も結局分からないことから 暫く我慢して使っていると、数ヶ月経って、いつの間にか直っているということが多くなっています。 例えば私が作った演奏を MP3では問題なく聴けても MIDIで聴こうとすると パソコンを再起動しないと聴けないとか、ある ソフトで カスタマイズしてあった設定が起動の度に初期設定に戻ってしまう、など、これらは今では知らない間にでしたが、直っています。

 今現在は パソコン画面の右下に 「この Windowsの コピーは正規品ではありません」 の文字が出ています。 Windows7搭載で新品の VAIOパソコンを買ってから 4年近くも経て、今さら何を!」 と言いたいところで、特段の実害はないものの 目ざわりで、対処方法を検索して色々試してみましたが、結局、またそのうちに直るだろうことを期待して アキラメの状態にあります。

 パソコン操作中に パソコンが バックグラウンドで何やら Net とやりとりしていますが、素人の想像では、そうした我々の知らない間に ソフトの不具合を直したことが別の不具合を発生させてしまい、それをまた直したということかしら (?)、などと思ってみたりもしています。 また、色々な方と メールのやりとりをしていても 「パソコンの調子が悪くてご返事が遅れ、申し訳ありません」 の メールをいただくことも けっして少なくないことからすれば、同じようなことで無駄な時間を過ごしている人は、昔に変わらず少なくないのだろうとは容易に想像がつくというものです。



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