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 2018年 7月 〜 12月 の 今月のひと言 .

 "じんこうにかいしゃ"  2018年 7月 1日

  "じんこうにかいしゃ" という言葉を耳で聞いたら 「なに、"人口に会社" ?」 と思われる方も少なくないかも知れません。 "人口に膾炙" と書きますが、私はたまたま高校時代に国語だったかの授業で知りましたが、その後滅多に耳にすることもない言葉で、"良い意味で多くの人々の評判に上る" といった意味の言葉です。

  当サイトでは今年元日に シューベルトの 「未完成交響曲」の第1楽章を Upし、今第2楽章を Upしようとしているところですが、書かれて 150年、発見されてからでも 100年、未完成の作品にもかかわらず今でも交響曲の最高傑作のひとつに数えられているこの曲を聴いていると "人口に膾炙" を実感します。

  シューベルトがどういった理由で机にしまい込んだままで亡くなってしまったのか不明ですが、多くの人がいいと言っているものはやはりいいのだという、音楽に限らず世の中で ヒットした物事には同じことが言えるのだとは思いますが、売り手サイドからの宣伝や特定の人の思惑の思惑などのない、多くの人々の長年に亘る素直な高評価が口コミで広がっていったものには、やはり素直に耳を傾けてみる価値があるということでしょう。

 スマート・スピーカー  2018年 8月 1日

  最近話題になっている "スマート・スピーカー" について、Wikipadiaには 「対話型の音声操作に対応した AIアシスタント機能を持つ スピーカー。内蔵されている マイクで音声を認識し、情報の検索や連携家電の操作を行う。 日本では AIスピーカーとも呼ばれる」 と書かれています。

  数ヶ月前のある雑誌で ある女優さんが 「スマート・スピーカーが便利過ぎて感動!」 のタイトルで、「『お水買っておいて』と話しかけるだけで自動的に購入してくれるし、過去の購入履歴も参照して、自分に合ったものを教えてくれる」、「AIを搭載していて、話すほど賢くなるので、最近家にいるときは、スピーカーに向かって何かしら話しかけていますね」 と言っていました。

  音声認識は、既にパソコン、スマホなど当たり前になっていて、今や さらにこれが茶飲み友達と通訳や秘書・下僕などを兼ねたような存在になりかけているといったところでしょう。

  ただ、...先日、iPodの音声認識の Siriで 我が家から横浜・港南台の ある施設までの経路検索をしたところ、どう言い回しを変えて話しかけても "港南台" が "甲南大" と出て、結局 口からではその誤変換を直しようがなく、あきらめた経験がありました。 また その前に 機器にきちんと向かって はっきりと言わないと認識しなかったり では、茶飲み友達になってもらうには まだまだといった感がしました。 ...それから、機器に向かって話しかけるという行為に なんとなく気恥しいような感じがあるのは 慣れの問題として、スマート・スピーカーを使ったことのない者の たわ言かも知れませんが、通訳や下僕以上の、友達に近い関係にまでなるとしたら、むしろ寂しい感じになるのでは、という気もします。

 ワグネリアン  2018年 9月 1日

  この 9月の初旬に ワーグナーの 歌劇「タンホイザー」の 行進曲 の マンドリン・アンサンブルに編曲したものを Upすべく今準備中ですが、それは ワグネリアン達からすれば 「土台から ワーグナーの曲を マンドリン・ギターで演奏するなどとんでもない!」と言われる種類のものと言えるかも知れません。

  ...で、私の演奏の方はともかく、そもそも "ワーグーナー心酔者" を指す "ワグネリアン" という言葉は、いつ頃から言われた言葉か分かりませんが、一般的な英和辞典にも掲載されているそうで、日本でも 彼が自分の作品を上演するために建てた バイロイト祝祭劇場へ観劇しに行くという意味の "バイロイト詣で" という言葉と同じく もうだいぶ古い言葉です。

  最近私が テレビ番組で知ったところでは日本の 石川啄木や 永井荷風、三島由紀夫、寺山修司 などは "ワグネリアン" だったそうですが、Wikipedia を検索したら、その代表的な人物として、既に多くの人が知っている、ルードウィッヒ2世、ヒットラー、ニーチェ、ボードレール、トーマス・マン などの名前が出ていましたが、日本人の名前は載っていませんでした。

  ワーグナーの作品には いつまでもその音の中に浸っていたいという気持ちにさせる、あるいは のめり込ませる魔力のようなものがあるのは 多くの人が経験しているところですが、一方でこうした音楽の世界に没入しがちな タイプの人もいるようで、こうして上記に挙がった 特に日本人の有名人の顔ぶれを見ると、さもありなんという気がします。

 神 業 (かみわざ)  2018年 10月 1日

  昔、"批評の神様" とも謳われた 小林秀雄 (1902-1983) (関連記述: 「モオツァルト」) が ある人に 「この宇宙で神様は居ると思いますか?」 といったことを尋ねられて、「居るに決まってるじゃないか」 といった言い方で答えたということを何かで読んだ覚えがあります。 ...彼がどのように思って そう断言 (?) したのか不明ですが、私の想像では、彼は諸々の芸術作品などに接してきて、神の存在を確信させる場面が相当あったに違いないと思われます。 (...なお、ビートたけしが モーツァルトに関して神の存在に触れたことを言っていた (関連記述: ビートたけし) のも思い出しました。)

  私が何故こんなことを書くのかと言いますと、つい先日、バッハの 平均律クラヴィア曲集冒頭の 前奏曲 を Upしましたが、特に バッハとか この曲とかに限ったことではないにしても、この曲などには神の存在を思わせる何かしらがあると思わされるからです。

  私の想像ですが、バッハが鍵盤の前に静かに座って数十秒、やがて即興で両手を鍵盤を静かに叩き始めると、無の状態の彼の頭の中に神様が現れ、その意思のままに彼の指が動いてこの曲が奏でられ、彼は後からその記憶を辿って楽譜にした、と思えます。 ...その後 グノーにより 「アヴェ・マリア」 という一種の宗教曲に反映された経緯にも何かしらそうした感覚、あるいは理解があったからなのでしょう、と思います。

  スポーツなどでも "神業" を思わせる名場面を見ることがありますが、それらは ほとんどが 名人芸の極みと言った意味の "神技"、つまりは "人業" の方で、バッハの多くの曲には それらを超えた "神様が成せる業そのもの" を感じさせられるものがあり、バッハが多くの人を惹きつけるのも多分それに違いないという気がします。

 持つべきは友  2018年 11月 1日

  半年位前の NHKの番組: 「らららクラシック」 で、「作曲家は自分の奏けない楽器の楽譜はどのようにして作るんですか?」 という視聴者からの質問がありました。私も かねがね同じ疑問をもっていたので、興味を持って見ていましたが、作曲家の宮川彬良氏の答としての正解は 「その楽器を奏く友達に訊く」 というもので、私などから見て、あっけない答えながら、やっぱりそうかという印象でした。

  例えば 管弦楽曲を作曲する場合、使われる全ての楽器について、それらの音や、同時に鳴らすことのできる和音の数・構成、指が届ききれる範囲、さらには きれいな音が出せるか、作ろうとしている楽譜の音の動きに奏者が追いついていけるか、管楽器の場合など 息が続くか、などの現実の場面ごとの細い対応策などは 書籍などにも書かれていることは ほぼなく、たとえ ベートーヴェンでも そうした辺りまで全て心得ている分けではない筈で、結局は どのような大家でも 楽器ごとに精通した人に訊くというのが一番でしょう。

  実はその放送の頃、私自身 ギター曲(11月10日 Up: 「 メランコリー」)を作成中でしたが、6本の弦を左手 4本の指で押さえて奏く ギターで どこまで自分が意図するような曲が作れるか、...それこそ ギターの プロが作曲する場合はその人の ウデの見せ所でしょうが、恥ずかしながら ギターを奏けるなどとは言えない私などの自分だけの判断では セゴビアでも イエペスで奏けないような楽譜になってしまうのではないかと案じ、ギターを奏く友達の助けを借りていました。...やはり "持つべきは友" でした。

  そして思ったことは、いや勝手に想像したことは、例えば シューベルトなどが 管楽器を吹く プロの友人に 作りかけの楽譜を見せて、「こういう音の動きをなめらかに吹けるかねぇ?」「いやー、そりゃ無理だ」「なんとか こう吹いて欲しいんだけど」「じゃ、こうしたらどうだい?」「うーむ、それじゃ せっかくの独創的な悲しい雰囲気が削がれちゃうなぁ」...なんていう会話もあったんじゃないかしら、ということでした。

 ジオシティーズの閉鎖  2018年 12月 1日

  この 10月の初めに、当サイトの全ての頁、曲演奏、写真などを置いてある Geocities (ジオシティーズ) が 来年3月末をもって サービス停止 (閉鎖)となるという通知がありました。 Geocities は Yahoo! Japan の ID を持っている会員なら無料ででも HP (ホームページ) を置いておける ウェブサイト提供スペースで、日本では 21年前の 1997年に日本語版のサービスが開始され、やがて "Yahoo! ジオシティーズ" として運営されてきた、この分野での いわば草分け的な、そして有力な存在でした。

  20年以上前の インターネットが流行り始めた頃、ブラウザー (インターネット閲覧ソフト)といえば 専ら Netskape が中心だったものが、Yahoo が目覚ましい勢いでこれを凌駕し、私も、栄枯盛衰の多分激しい世界でも "Yahoo & Geocities" なら簡単に閉鎖などはないだろうと読んで、この線に乗ったものでした。

  その後 約20年を経て、ハードでは スマホ が、そして ソフト的には Google や Twitter、Line などの SNS (Social Networking Service)などが台頭して流れも変わり、世界を リードしていた Yahoo も凋落 (?) の道を歩むことになったようです。 最近 IT世界を リードする企業の頭文字をとった "GAFA" (Google, Apple, Facebook, Amazon)という文字が目につきますが、そこにはもはや Yahoo の "Y" の文字は見られません。 この世界で 20年近く隆盛を続けてきたことは立派なことなのでしょうが、やはりけっして長いものだったという印象ではないように思われます。

  ...ところでこんな情緒的な (?) 感慨などはともかく、大家さんが更地にするということで立ち退きを迫られた借家人のような私達としては、何はともあれ、早々に次の アパートを探さなくっちゃ、というところです。



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